0.西郷隆盛の「敬天愛人」思想の現代的意義  2017920 

人はだれでも、それぞれの人生をおくりながら、自分について、人間について、社会について、国家について、そして自然について、それぞれの考え方をもつ。その考え方を思想とよべば、人はだれでも思想をもつ。 

 人の思想は、三つの相互作用によって形成されるー①生得の資質性格、②さまざまな個人的体験、③人間と社会と自然について蓄積された古今東西の人類の知恵と思想。 

人の思想は、少年・学業期→壮年・職業期→老年・終業期の「人生毛作」それぞれの生活状況に応じて成長し、進化し、停滞し、人の人格と一体となる。 

西郷隆盛(1827年~1877年)の一生は、老年期をむかえることなく、壮年期の絶頂において終わった。

 

1)西郷隆盛の履歴概略 

 「敬天愛人」に結晶する西郷思想を形成した人生50年を6期に分ける。 

1期:少年期 1827年~1844年、017歳(17年) 

2期:農政役人期 1844年~1854年、1727歳(10年) 

3期:斉彬秘書期 1854年~1858年、2731歳(4年) 

4期:流人思索期 1858年~1864年、3137歳(6年) 

5期:倒幕参謀期 1864年~1868年、3741歳(4年) 

6期:明治維新期 1868年~1877年、4150歳(9年)

 

◆1期:少年期 1827年~1844年、017歳(17年) 

 薩摩藩の最下層士族の困窮家庭の長男として少年期をすごす。 

 

◆2期:農政役人期 1844年~1854年、1727歳(10年) 

郡方書役助という見習い役人の立場から農民の暮らしをつぶさに心に留める。 

 儒学(朱子学)、陽明学、禅などを下級武士の友人らと学ぶ、精忠組のリーダ格。 

藩主後継をめぐる藩内権力闘争(お由良騒動)の醜さと藩政へ怒り心頭。

 

◆3期:斉彬秘書期 1854年~1858年、2731歳(4年) 

 苛斂誅求の農政による農民困窮の実情に基づき、農政改革建白書を藩に提出。 

 英名誉れ高い開明藩主の斉彬に抜擢され、参勤交代に同行して江戸へ。 

 斉彬の意をうけて、将軍後継問題と攘夷・開国問題への対応について東西奔走。 

大奥をふくめて幕府内部の人脈、雄藩諸大名の藩士との人脈、宮中の公家および学者や僧侶などとの人脈、尊王攘夷をさけぶ過激な脱藩浪士との人脈など、多士済々の交際を通して、高潔から卑劣まで玉石混交の人間像を学ぶ。 

西郷の思考が、斉彬の薫陶のもとで、薩摩藩の狭く限られた農政分野から、日本の国政へ、そして西欧列強が対峙する世界を地球儀から俯瞰する視野へひろがる。 

 

◆4期:流人思索期 1858年~1864年、3137歳(6年) 

斉彬が急死、殉死を決意。安政の大獄で追求される月照と錦江湾に飛び込み心中するも自分だけが蘇生。 

幕府から逃れるために奄美大島に潜居。島妻と家庭をもち、およそ3年をすごす。 

薩摩藩の実権をにぎっていたのは、お由良の子、藩主の父の久光、その久光に仕えていたのが大久保利通。その大久保の「京都の政局に薩摩藩が主導的に関与するためには、西郷の人脈が不可欠である」という説得により、西郷は藩政に引き戻らされる。

 

ところが久光の命令に従わぬ行動により、数か月して大島の先の徳之島へ、さらに遠島の沖永良部島へ流罪人として島流し処分をうける。 

粗雑な囲い牢に押し込められ、風雨にさらされ、衰弱しながら単座して沈思黙考の生活が数か月。地元代官のはからいで、少しくつろげる座敷牢に移る。 

親戚や旧知と手紙をやりとりしながら国内情勢を知り、たくさんの書籍を読み、思索と詩作に没頭し、志操を堅固にして、付近の子どもらに「私欲の悪徳」を教え、農民救済の立場からサトウキビ藩政改善の提案など、およそ2年を過ごす。

 

江戸と京都の政治状況は、いよいよ西郷の登場を必要とする時勢となっていた。 

久光が、公議政体運動をすすめるためには、西郷を赦免して国政レベルで活動してもらわざるをえなくなった。

 

5期:倒幕参謀期 1864年~1868年、3741歳(4年) 

前期:公議政体派の戦略家 

   蛤御門の変、第一次長州征討、その後の長州処分で見識と胆力を発揮。 

後期:武力倒幕派の戦略家 

   勝海舟と出会う、幕府の第次長州征討に反旗、倒幕へ薩長同盟。 

徳川将軍の大政奉還に対して小御所会議で公義政体論を粉砕(小刀ひとつ)。 

王政復古の大号令をかかげて幕府討伐へ、東征大総督参謀。 

鳥羽伏見の戦い、江戸城無血開城を海舟と談判。 

戊辰戦争の後始末、幕府軍の庄内藩に寛大な処置。――>南洲翁遺訓へ 

 

6期:明治維新期 1868年~1877年、4150歳(9年) 

 戊辰戦争の最高級の功労章典禄を授与されるも、うれしがらず私用せず。 

新政府閣僚に留まらず、鹿児島に帰郷、犬をつれて山野を駈けて猟をして温泉に浸り、窓辺で詩作三昧。周囲が勧める明治新政府の官職につく気分さらさらなし。 

だが、藩主の要請を断りきれずに薩摩藩の改革に参与。さらに新政府の参議へ。

 

近衛兵と軍制の整備、宮廷の女官勢力の排除、版籍奉還と廃藩置県の断行へ。 

岩倉西洋使節団の留守をあずかる政府の筆頭参議(実質的な首相)、薩長土肥の旧藩士で構成される新政府幹部たちの私欲や権謀術数の渦の中。 

朝鮮へ使節を派遣する問題(征韓論争)の権力闘争に敗北、参議を辞職、帰郷。

 

江藤新平の佐賀の乱を鎮撫するべく政府命令を拒否、江藤の支援要請も拒否。 

西郷に従って帰郷した士族を訓練するために私学校、吉野開墾社を設立。 

大久保とその一派による有司専制の私利私欲と欧米追従政策の新政府批判。 

大久保・岩倉政権は、西郷暗殺を画策。私学校の士族らは激怒。 

「政府の非を尋問すべく」挙兵、西南戦争に敗れて賊軍の逆臣として城山で自決。

 

そして明治憲法発布の大赦により、賊名を消されて明治維新を指導した功臣の名誉回復。「城山の露と消えた」西郷隆盛は、『陸軍大将とあふがれ、君の寵遇世の覚え、たぐひなかりし英雄』として、天皇制の精神的シンボルとして偶像化へ。 

 

2)南洲翁遺訓の構成  

明治維新の戊辰戦争で官軍に敗れた幕府方の庄内藩は、南洲翁遺訓を世に残してくれた。その全文と作成の経緯については、南洲翁遺訓 - Wikipedia を参照。 

 わたしは、南洲翁遺訓の内容をつぎのように四つのテーマに再構成する。

 

A:天道と政治 ~為政者(政治家と公務員)に要求する滅私奉公 

B:政治の本体 ~文武農 

C:西欧列強の文明と野蛮 ~大義ある武力 

D:徳治仁政 ~為政者の修身克己 

 

A:天道と政治 ~為政者(政治家と公務員)に要求する滅私奉公 

1条:廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふもの 

9条:道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。 

21条:講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。 

24条:道は天地自然の物にして、人は之れを行ふものなれば、天を敬するを目的とす

25条:人を相手にせず、天を相手にせよ。 

40条:犬を駆り兎を追ひ、山谷を跋渉して終日猟り暮し、一田家に投宿し、浴終りて心神いと爽快、君子の心は常に斯の如くにこそ有らん。 

 

B:政治の本体 ~文武農 

 2条:政権一途、一格の国体定制、施政の方針一定 

3条:政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つ 

6条:人材登用、開闢以来世上一般十に七八は小人 

8条:広く各国の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我が国の本体 

9条:忠孝仁愛教化の道は政事の大本 

10条:人智を開発、愛国忠孝の心国に尽し家に勤むる、百般の事業の進歩 

13条:租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也 

14条:会計出納は制度の由って立つ所、百般の事業皆是れより生じ、経綸中の枢要 

15条:常備の兵数も、亦会計の制限に由る、決して無限の虚勢を張る可からず 

 

C:西欧列強の文明と野蛮 ~大義ある武力 

11条:文明とは道の普く行はるるを賛称せる言 

12条:西洋の刑法は人を善良に導くに注意深し 

16条:節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、猛き心、万国対峙 

17条:正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全くかる可からず 

18条:国の凌辱せらるるに当りては、正道を踏み、義を尽すは政府の本務也。 

追加2:当時万国対峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏伝を熟読し、助くるに孫氏を以てすべし。当時の形勢と略ぼ大差なかるべし。 

 

D:徳治仁政 ~為政者の修身克己 

 4条:万民の上に位する者 

 5条:不為児孫買美田 

7条:正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からず 

19条:修身克己 君臣共に己れを足れりとする世に、治効の上りたるはあらず。 

22条:己に克つに、兼ねて気象を以て克ち居れよと也。 

23条:学に志す者、規模を宏大にせずばある可からず。己れに克ちて身を修する也。 

26条:己れを愛するは善からぬことの第一也。 

27条:過ちを改むるに、自ら過つたとさへ思ひ付かば、夫れにて善し 

28条:道を行ふには尊卑貴賤の差別無し。 

29条:道を行ふ者は如何なる艱難の地に立つとも、身の死生などに、少しも関係せぬもの也。 

30条:命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。 

31条:道を行ふ者は、天下挙て誹るるも足らざるとせず、天下挙て誉るも足れりとせざる 

32条:道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。 

33条:平日道を蹈まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分の出来ぬもの也。 

34条:作略は平日致さぬものぞ。 

35条:人に推すに公平至誠を以てせよ。公平ならざれば英雄の心は決して攬られぬもの也。 

36条:聖賢に成らんと欲する志無く心ならば、戦に臨みて逃るより猶ほ卑怯なり。 

37条:天下後世迄も信仰悦服せらるるものは、只是れ一箇の真誠也。 

38条:真の機会は、理を尽して行ひ、勢を審かにして動くと云ふに在り。 

39条:才に任せて為す事は、危くして見て居られぬものぞ。 

41条:身を修し己れを正して、君子の体を具ふるとも、処分の出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。

追加1:事に当り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡そ思慮は平生黙坐靜思の際に於てすべし。 

 

3)「敬天愛人」思想の形成 

「敬天愛人」思想の真髄は、人間(私心)と自然(天道)との対置である。 

人間(私心)観は、下は最下層の農民との交流、中は下級藩士・志士同人・脱藩浪人などとの交際関係、上は藩主から天皇と公家との対応交際まで、広範多彩な人間関係の体験から形成された。 

→地上の人間は、善から悪まで混在した身心頭の欲望にまみれて生きている。

 

自然(天道)観は、30歳前半の流人思索期における南島での自然風物の体験と学問と島民生活から形成された。 

→自然の道理は、「天網恢恢疎にして漏らさず」人間たちの善悪の行動を包みこむ。

 

このように形成された西郷の政治思想は、遺訓第一条に凝縮されている。 

①大政を為すは天道を行ふものなれば、ちっとも私をはさみては済まぬもの也。
・政治は天の道義に従え、政治に私心をはさむな 

②広く賢人を選挙し、よく其の職にになふる人を挙げて政柄を執らしむる。 

 ・政治をになう公務員は、私心をもたぬ賢人であるべきだ 

➂徳と官と相ひ配し、功と賞と相ひ対する。 

  私心をもたぬ賢人は、功績の報償をほしがらない人徳者であるべきだ

 

〇その精神は、慈母精神(人民の徳治仁政)と厳父精神(権力者の邪心討伐―大義武力)。 

〇その形成は、薩摩藩の遠島僻地での5年にわたる流人生活と読書と思索と詩作。 

〇その実行は、大政奉還による公武合体論の否定、王政復古による明治維新運動-①武力倒幕、②征韓/遣韓論争、③西南戦争。 

 

4)「敬天愛人」思想の現代的意義 

西洋近代思想と日本国憲法は、個人の自由―基本的人権―民主主義―平和主義を人類の普遍的価値とみなす。 

そして国家主権が、国境に閉じた領土と国民を占有支配し、自国の国益を保全し拡張することを不可侵の価値として絶対視する。 

その国家主権の独立を維持し、外国からの主権侵犯を許さないために、軍事力を強化する。世界を支配する大国は、人類を絶滅できる能力をそなえる核兵器で自国を武装する。

 

2017年現在、主義・主張・立場・利害・好悪・価値観・思想のちがいによる不寛容の差別や憎悪や敵対や抗争が、仲間同士レベルから政治党派、宗教、人種、民族、国家レベルまで世の中に蔓延している。 

その極めつけが、イスラム原理主義集団のテロ、アメリカのトランプ現象、北朝鮮の核兵器保有をめぐる国際政治状況である。 

人類社会のこのような負の領域、利己的な非道と悪道に対して、西洋近代思想と日本国憲法は、どのように処方できるか。

 

西郷思想は、人間社会の邪道・悪徳の根源を「私心」の私利・私欲・貪欲とする。 

西郷は、国家の為政者に「私心」を捨てた「道義心」を要求する。 

西郷の「敬天愛人」は、西洋の観念的人道思想を包摂する経験的天道思想である。 

西郷は、西欧列強の帝国主義を「文明ではなく道義心なき野蛮」と断じる。 

道義心なき野蛮な「私心」を根本にすえる近代西洋思想のキーワードを並べればつぎのようになる。

a.自由競争 自然状態の弱肉強食、自然淘汰、適者生存→資本主義、私本主義  

b.人間中心 食物連鎖の生態系の頂上に君臨、人命尊重→人道主義 

c.理性中心 科学技術の合理性と損得の功利性→倫理道徳のニヒリズム 

 

西郷隆盛の「敬天愛人」の慈母精神(人民の徳治仁政)と厳父精神(権力者の邪心討伐―大義武力)は、西洋近代思想と日本国憲法の限界をのりこえて、21世紀のグローバル社会に共存する「道義国家」の指針になり得るのじゃないか。 

「敬天愛人」思想により近代西洋思想を変革するポイントをつぎのように措定する。 

a.自由競争 →相互扶助  

b.人間中心 →自然の生態系中心 

c.理性中心 →道義心中心 

 

西郷は、「天下の大鐘、叩く者の大小に従い、其の声も亦大小あり」と評価されてきた。 

西郷思想の現代的意義を問いなおす視点は、つぎの三つ。 

①「天道思想」が、なぜ大日本帝国の「天皇思想」に換骨奪胎されたか。 

②「天道思想」は、米中露欧が対峙する主権国家思想を変革できるか。 

「天道思想」は、現代社会の倫理道徳のニヒリズムを超克できるか。

 

 独断と偏見かもしれないけれども、わたしは西郷精神によるグローバル社会の世界史的変革の希望を探求したい。  

以上  1.