No.21.遺訓第23条 『敬天愛人』を世界に発信する政治家を育成しよう! 2020年9月25

 

■遺訓第23条   

学に志す者、規模を宏大にせずばある可からず。去りとて唯ここにのみ偏倚すれば、或は身を修するに疎かに成り行くゆゑ、終始己れに克ちて身を修する也。

規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思へよと、古語を書て授けらる。

「其の志気を恢宏する者は、人の患は自私自吝、卑俗に安んじて、古人をもって自ら期せざるよりは大なるはなし。」

古人を期するの意を請問せしに、堯舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。

 

□遺訓第23条の解釈  

「学に志す」の学とは、第21条で「道は自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ」というところの「講学」である。

学問は「知的活動の総称」、「講学」は「学問を研究すること」と辞書にある。「講学」とは、「知的活動全体を研究する」という意味のようだが、講学ということばは、今の世ではほとんど使われない。代わって、勉強、学習、研究、学問、教育などが使われる。

幕末から明治維新の世を生きる西郷のいう「講学」とは、西欧列強に万国対峙する時代の近代国民国家の法学、憲法学、政治学、行政学など「国を維持する」するための国家統治学であると理解すべきだろう。

民主主義の現代にあっても、国家統治学は政治家・公務員にとって必須である。「主権在民」なのだから、義務教育においても国家統治学を必須科目とすべきだ、とわたしは思う。

参照➡補論23.2 『国家統治学』の国民的合意形成

 

明治維新を生きる西郷がめざす、幕藩体制に代わる国家統治学のポイントは何か。

■遺訓第16条 節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、西洋各国同然なり。

上に立つ者下に臨みて利を争ひ義を忘るる時は、下皆之れに倣ひ、人心忽ちち財利に走り、卑吝の情日日長じ、節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、相ひ讐視するに至る也。此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。

「国を維持する」者は、国家を統治する為政者、政治家、公務員である。西郷は、国家権力を行使する者の資格として、第一に「人の道に恥じない行為」=道義=節義廉恥=修己治人の修養と実践をもとめる。

国家指導者に課せられたその修養が、「学に志す」ことの意義でなければならない。

下々の上に立つ者たちが、を争いを忘れるとき、道義よりも功利を優先するとき、仁徳よりも才能を重視するとき、国は乱れるのだ。

このことは、古今東西どの国々でも、現代の民主主義国家であっても同じである。

トランプ大統領が治めるアメリカ社会の分断状況をみよ。イギリスのEU離脱をみよ。

■遺訓第4

万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。

 

西郷は、『節義廉恥』を国家統治学の基盤とする。道義心を「西洋と雖も決して別無し」、人類社会が共有すべき普遍的価値とする。

西郷が心酔する陽明学は、「山中の賊退治よりも心中の賊退治がむずかしい」と教える。金力や権力や武力ではなく、道義的威厳によって、私欲・驕奢・夜郎自大の「心中の賊」を退治しなければならぬ。このことは、先進国といわれる西洋の指導者にも通じるはずだ。

この道義精神こそが、グローバル時代の現代の国際政治において、世界に発信されるべき西郷精神のポイントである、とわたしは思う。        

※節義廉恥 ➡ 国を維持する道 ➡ 西洋各国同然 ➡ グローバル社会の国際政治

 

21世紀の今の世の国家統治学は、「自由、人権、民主主義、法の支配」を万国共通の普遍的価値とみなす。その学問が根拠とする最善の価値基準は、世界人権宣言の個人尊重、人間の尊厳、人道主義である、とわたしは理解する。

大日本帝国の明治憲法にかわる戦後の日本国憲法もしかり。

広島と長崎に原爆をおとした戦勝国アメリカの「松笠天皇」と闇でよばれたマッカーサ司令官が、現在の日本国憲法の思想、価値観、精神性を教導というか「押しつけて」くれたものだ。 憲法第97条は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」というけれど、日本人の歴史には決してあてはまらない、とわたしは思う。

しかし戦後75年もすぎて、日本国憲法の理念を「理想とする」考えは、ほとんどの国民に定着している。だから現代に生きる日本人にとって、「堯舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよ」という西郷遺訓は、あまりにも古くさいと感じるだろう。

忠孝仁愛教化の道」(遺訓第9という文字を見るだけで、耳に聞いただけで、身をふるわせて毛嫌いする人も少なくないだろう。西郷など「封建制度の権化」、「軍国主義の親玉」だといって切って捨てる。

では、死せる西郷は、後世の世界人権宣言をどのように評価するだろうか。

憲法の「自由、人権、民主主義、法の支配」の道義性をどのように評価するだろうか、ということがわたしの問題意識である。

 

「温故知新」、「反面教師」、「換骨奪胎」などのことばがある。

人類の歴史は、過去から未来への一直線上を単純に「進歩」しているのではあるまい。保守だめ革新よし、というほど人間も世間も単純ではない。封建制度は全面的に悪、民主制度は全面的に善、ということでもなかろう。人間は、きわめて複雑に進化した生命体なのだから。

その身心頭の機構は、知れば知るほど謎が深まる。DNAの解読も未知なる情報領域が圧倒的におおい。

2020年の現在、人類社会は新型コロナウイルス感染によるパンデミックの渦中にある。

スマホとネットとAI人工知能)と生命医学の時代、人間が生きる外部環境と生活基盤と人間関係が激変しつつある時代、リアルとバーチャルが融合する時代、Society5.0と称される時代、生活と政治と学問の関係性が根本から問われる時代、これまでの哲学・思想・価値観が根底から問いなおされるべき時代。

おおくの識者たちが、現代の国際政治―資本主義経済―自由主義思想の現状を評論し、問題点を指摘し、解決方針を提言している。

そもそも「自由、人権」尊重という現代人を支配する基本的価値観・人間観・人間中心主義こそを、思考停止することなく「抜本塞源」的な気分で問いなすべき、人類史的時代ではないか。

いまこそ、「学に志す者、規模を宏大にせずばある可からず」の時代ではないか。

わたしは、南洲翁遺訓を「温故知新」、「反面教師」、「換骨奪胎」することによって、「節義廉恥」の道義心をベースとする新たな「国家統治学」を創出すべきではないかと思う。

参照No.17遺訓第19条、No.18遺訓第20条など

 

遺訓第23条「学に志す者」の「規模を宏大」とは、『大学』の注釈書である朱子の『大学章句』序文からの引用とされる。

※「古の大学で学生を教育する明法は、外は規模の大を極め、内は節目の詳を尽くすこと。」

『大学』は、儒学の古典である。儒学は、儒教の宗教的教義というよりも、政治家=為政者が「修己治人」➡「経世済民」を目的として、下々を『為政以徳』によって統治するための国家統治学である。

「学に志す」とは、「古の明徳を天下に明らかにせん」と志すこと。

明徳とは、「格物・致知―誠意・正心・修身―斉家―治国―平天下」の八条目。

 

「格物・致知」は、朱子学と陽明学で解釈がおおいにちがうようだが、を極め、の詳を尽くすこと」、「森羅万象の真理探究」という意味の現代用語の学問とおなじだと解釈する。

「学問」は、「問いを発し」そして「学ぶ」こと。「問いを発する」対象は、『外』と『内』。

『外』は自分の人体の外側にひろがる自然現象と人類社会の歴史。『内』は人間の身体内部の生命現象と「身―心―頭」の生理的機構と「少―壮―老」をたどる自分の人生。

学問修養の方法を「居敬窮理」とする。「居敬」して個別の物事の理をきわめ、万物の理にひろげて宇宙の本体にせまる。

「居敬」とは、謙虚、ひかえめ、おごることなく、うやうやしく、素直な態度で己の身心を正しく保ち、自然を畏敬恐懼して人・事・物に接する姿勢、自己主張の驕慢を戒め、頭をたれて慎む恭順の気持ち。  

居敬は、遺訓第21己れに克ちて、観ず聞かざる所に戒慎する」の「戒慎」に通じる。「観ず聞かざる所」は、22条「兼ねて気象を以て克ち居れ」の「気象」に通じる。

「気象」は、人間をとりまく宇宙自然の形象、宇宙の本体、観ず聞かざる所。

「気象」とは、人間の能力がおよばず、頭をたれて従うだけの領域であり、天下の生き物を支配する天気、天意、天心、天啓、天道、天恵、天罰、天災などの【天】を意味する。(参照➡論点22.3 『与人役大躰』

「気象」の「気」は、森羅万象の根元を「気」とする古代中国の政治哲学のキーワードである。

「規模を宏大」とは、つまり人智をこえた天地自然の「道」を「戒慎」居敬窮理」する「天道思想」を意味する、とわたしは解釈する。

この規模宏大の精神が、西郷の「敬天愛人」―敬天の『恭』、愛人の『』に帰結する。

 

ここで注意する点がある。

自分をこえて外にむかう「規模の宏大」にかたよりすぎて天下国家を論じるな。

なぜならば、現実の生身の自分を脇において、自分の社会的立場・地位・役割・責任をわすれたら、「身を修するに疎かに成り」やすいからである。

有言不実行、言行不一致、机上の空論、身心頭の統合失調、自己装飾、医者の不養生などなどにおちいる。高踏をきどり俗世間から距離をおき、豪傑きどりで大言壮語する者もいる。日常生活はだらしなく、非常識で放埓にして横暴なる者もでてくる。荘子に出てくる奇想天外な人物、寒山拾得や一休禅師など数々の奇行で有名な物語はたくさんある。

あるいは象牙の塔にこもる世間知らずの学者、蛸壺にとじこもる専門バカ、四角四面のゆうずうのきかぬ非情役人、権力におもねる曲学阿世の有識者、頭でっかちで言葉だけの文化人・知識人から原理主義者のテロリストまでなど。

陽明学は、「知行合一」を教える。自分の人生設計・人生論・死生観と社会的発言・行動を一致させるべし。

だから「規模を宏大」にしながらも「己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思へ。」

人の上にたつ「男子」たるものは、自分に厳格、他人に寛容。他人のおこないは受けいれて許せ。しかし他人から許してもらうつもりの行為はするな。自分にも他人にも甘えるな。第25条「人を相手にせず、天を相手にせよ」に通じる。

 

男子」とは、『与人役大躰』でいう「万人の頭に立ち、人民の死命を司る、重き職事」をになう為政者、国家指導者、支配階層である。

中国では「士大夫」といわれる科挙試験に合格した官僚知識人である。江戸時代の士農工商の身分制では「武士」である。王政復古の明治新政府では士族・華族・皇族の官僚・役人・公人と称される「貢士」、「官吏」、「官武」である。

西郷にとっては、自分自身をかたる「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全」遺訓第5)の「丈夫」である。

西郷が生きた時代は、西洋流民主主義が輸入される前夜である。政治には女子の出番などなかったのだ。日本文化の伝統では、戦前まで「男尊女卑」の時代がつづいたのである。

古語:「恢宏其志気者。人之患。莫大乎自私自吝。安於卑俗。而不以古人自期」

物事をなそうとの意気込みを広くもつものは、他人の悩みを自分のものとし、自らは謹んで、尊大な気持ちを一切持たず、貧しい地位にも満足して、そうして古人を目標に努力せよ。(訳:猪飼隆明)

「古人を目標」とは、徳をもって天下を治めた古代中国の堯舜時代を理想とし、戦国時代に生きた孔子を教師として「学に志す」ことである。

 

◆論点23.1 政治の理想像 ~ユートピア  

『列子』仲尼篇は、堯舜の世を理想の政治とする「堯の譲位」について述べる。

譲位とは、堯が民間出身の舜の徳と政治力を見込んで、天子の地位を我が息子ではなく、舜に譲ったこと。その舜はまた兎の徳と政治力を見込んでその地位を兎に譲ったこと。

西郷は、この故事にならって、遺訓第1条で「自分より相手を賢人と認めたら、直ちに我が職を譲る程でならでは叶わぬものぞ」という。

地位に連綿としてしがみつくな、「克己」ならざる私利私欲の自己保身では、為政者として失格。天子がその地位を『世襲』によらず、徳のある者にゆずる『禅譲』思想は、古代中国の官位人事の基本原則、政治倫理である。

孔子は、堯と舜を「無為にして治まる者」の理想的な天子として褒めたたえる。

天子の徳が豊かであるからこそ、自然に天下は治まる。賢人を適材適所に配置して、自分は特別なことをせず、天子の地位についておればよろしい。

この政治思想は、「天帝・天子➡君子・賢人・百官➡下々・百姓」という人間の序列化、階層的配置による国家統治思想である。(わたしは、この思想を現代の「権威・憲法➡権力・公務員➡生活・国民」という階層構造に翻訳する。

 

堯舜の世の徳治政治では、被治者である下々、民百姓、人民は、だれが政治を行っているかなど気にせず、自由に平和に暮らしていける。集団生活において、なにか問題があれば自分たちの集落の掟にしたがって始末をつけるので世間はまるく治まるのだ。

村落共同体の秩序をみだす「凡庸なる小悪人ども」の始末は、「天子―君子・賢人・百官」の「お上」にまかせればよい。下々たちは、政治に関心をもたずとも、自由に平穏にくらしていける。徳治政治においては天の道からはずれることはない「道の明らかなる世」なのだから。

日の出と共に働きに出て、日の入と共に休みに帰る。水を飲みたければ井戸を掘って飲む。飯を食いたければ田畑を耕して食う。ひとり残らずよいくらし、自然のまま、気にもせず、知らぬまにしたがう天の道。政治なんか自分には関係ない。

こういう世の中が、古代中国の儒学が理想とする政治の『経世済民』である。

お上は、【徳治】によって下々の生活秩序に気をくばる。下々は、共同体の相互扶助の『自治』によって少―壮―老の世代が共存して生活秩序をたもつ。

徳治】と『自治』という二次元の政治システムを天下泰平の『ユートピア』とする。「法治」の世のまえの「自然世」(安藤昌益)の世界観である。

『ユートピア』とは、どこにもない場所の理想郷。空想上の理想的社会。観念的国家像。

 

◆論点23.2 国家統治学の歴史性 

西郷が「手本とする古人」に同定する堯舜は、理想の政治をおこなった最高の聖人として中国で尊敬されてきた。紀元前1500年ごろ、古代中国の「平穏な世」に実在しない伝説上の天子・聖王・至徳の聖君とされる。

その平穏な統治の『ユートピア』のあとには、紀元前700年から200年ごろまでの諸国動乱・春秋戦国時代がくる。

農村社会に豪農がうまれる。道具職人が手工業製品をつくる。商品を流通する商人がでてくる。貨幣経済がはじまる。新興勢力が声をあげはじめる。

それまでの社会秩序が乱れる。血縁、地縁、隨縁の人間関係が複雑多様にからみあう。江戸時代のはるか昔に「士農工商」の分業社会の歴史がはじまったのだ。

この時代に諸子百家といわれる諸学者・諸学派がわきおこった。陰陽家、儒家、墨家、法家、道家、兵家、名家、縦横家などである。

この百家争鳴の主張は、性善説道徳的本性)と性悪説利己的欲望)を両極端とする人間観のちがいをベースとする。

性善説をとなえる儒家の祖である孔子は、春秋戦国時代の紀元前500年ごろの実在の人物。孟子は、性悪で不徳の「禅譲思想」なき天子が生まれることへの対策として『易姓革命』をとなえた。

ほぼ同じ時期にインドでは釈迦が説法し、庶民は「天―人―修羅―畜生―餓鬼―地獄」の六道輪廻の絵をみせられた。前者三つの「善道」が後者三つの「悪道」に対比される。

中近東では「自然を支配する」ヤハウエを唯一神とするユダヤ教が砂漠の地にひろがり、後世のキリスト教とイスラム教の精神性の基礎となった。

その精神性は「自然を支配」できるとする現代の『人間中心』と『自然科学信仰』の淵源とされる。東洋的「居敬窮理」精神の対極といわねばならない。

ギリシャではギリシャ神話から脱してソクラテス・プラトン・アリストテレスなどの哲人が「イデア」など超自然的理念を創出し、「市民」にたいして都市国家の秩序形成を説教している。

遠くはなれた東西において、人類知活動=学問=国家統治学がどうじにわきおこる共時性と風土的多様性。わたしはとても不思議な気がする。

 

そこに共通するのは、地殻変動、異常気象などによる飢饉、飢餓、感染症などの社会不安、領地の縄張りをあらそう覇権闘争による兵乱、生活破壊、格差、騒擾、略奪、無秩序の世のあとに、あらたな価値観と政治学がわきおこることだ。

それまで社会生活の秩序をささえてきた常識・慣習・価値観・制度・伝統文化は、所有財産をめぐる経済活動の条件変化と支配領地の競合・拡張とともに衰退し、伏流し、やくめをおえる。

理想社会としてかかげるユートピア像も永遠ではない。権力はくさる。盛者必衰、「蝸牛角をあらそう」(荘子)競争・敵対・不信・憎悪・殺戮の混乱の世となる。

そこから脱するため人々は頭をつかい、知恵をしぼり、協調して工夫をする。

下々の共感・協調・信頼・互助を社会規範、掟とする世への転回をめざす。その転回を正当化するために、権力者に奉仕する学者たちが、あらたな国家統治学を捻出する。

 この世は、諸行無常、万物流転。{生成―秩序―混乱―破壊}の反復。

「自由、人権、民主主義、法の支配」を普遍的価値とみなす現代の国家統治学も賞味期限が切れる時期に近づいているのではないか、その「普遍性」に多くの識者がそれぞれの視点から疑義を唱えている。

日本史における国家統治学の変転についての私見は、後述する。(補論23.1 神仏儒」を混交習合した『日本教』を基盤とする国家統治学の素描

 

◆論点23.3 現代の国家統治学の混迷 

2020年9月12日、安倍首相の辞意表明をうけて、自民党総裁選挙に出馬した3人の立候補者による討論会がひらかれた。3者の冒頭発言は、発言順につぎのとおり。

・石破茂  :一人一人に「居場所」があり、一人一人が「幸せ」を実感できる国。

・菅義偉  : 自助.共助.公助. そして絆 規制改革

・岸田文雄 : 論語と算盤

ゆくえ定めぬ万国対峙する国際状況において、日本国の最高権力者とならんとする人物の決意表明としては、なんとも「規模宏大にあらず」という印象を、わたしはもつ。あまりにも内向き・目先すぎ・大衆迎合・ポピュリズム、自民党政治の末路症状のように感じる。

戦後の政治運動は、1960年の安保闘争を頂点とし、その後は社会党を中心とする野党勢力の衰退と自由民主党による一党強化の歴史である。

国際政治は、日米安保条約の軍事同盟を基盤とし、アメリカに追従する外国交際にまかせればよかった。政治家にとって「規模宏大の志」など必要でなかった。

どぶ板政治家、ご用聞き政治家、お坊ちゃま世襲議員、タレント議員、業界利益代弁議員などなど、選挙に当選しさえすれば、凡庸な人物でも「国民を代表する」国会議員がつとまるのだ。

戦後の日本は、ひたすらなる経済成長を国是とし、「自由、人権、民主主義、法の支配」の優等生国家として、世界的に称賛される地位にいたる。

しかし今やその栄華も風前の灯。日本の政治的地位の名声は、没落の一途をたどる。なにが根本原因か。

わたしは、経済一辺倒、「独立国家論」不在、アメリカ一辺倒の外交政策にもとめる。

自民党は、国家主義を鮮明にうたう憲法改正を党是としながらも、いっぽうでは対等ならざる日米軍事同盟のいっそうの強化をめざす。「アメリカのポチ犬」と揶揄される。

共産党をのぞくほとんどの野党も「日米同盟を基軸とする」と宣言する。アメリカは、日本にさらなる防衛費予算の拡充と米国製兵器の購入をもとめる。

これからの10年先、30年先の日本をどのように展望して日本丸を操縦していくのか、その国家論と国家統治学が問われている。西郷は、アメリカ一辺倒の戦後レジームにどっぷりとはまっている政治家たちを、あの世からながめて嘆くであろう。

■遺訓第17条 

正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。

彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受るに至らん。

参照No.16.遺訓第15条 戦後レジームからの脱却~節義廉恥の道義国家へ 

 

2020年の新型コロナウイルスのパンデミックがひきおこした社会秩序の混乱は、1860年代の植民地戦争、1940年代の第二次世界大戦につづく、第3ステージともいえる「万国対峙」の不協和音を地球上に鳴りひびかせている。

今後の国際政治のおおきな論点は、「自由、人権、民主主義、法の支配」を基本的価値とする西洋流の国家統治学が、共産党が統率する中国の「現代的社会主義」に挑発されている現実に、どのように対応するかである、とわたしは思う。

中国は「中華思想」よろしく「世界支配の野望」をむき出しにし、国際秩序の再構築をめざしているようにみえる。習近平国家主席は「中国共産党の指導と我が国の社会主義制度の優位性」を誇示する。その中国の政治スローガンは、「人類運命共同体」である。

「人類運命共同体」とは、「自国の利益を追求するとともに他国の利益にも配慮し、各国の共同発展を図る」という世界観。

 2011年、当時の温家宝総理が東日本大震災の被災地を訪問した際、「地球村」や「大家庭」をつかって「自然災害の前で人類は運命共同体である」と述べた。『中国の平和発展』白書に「運命共同体の新視点から人類の共同利益と共同価値観を探るべきだ」と記す。

習近平国家主席は、「国際社会は運命の共同体になりつつある。複雑な世界経済情勢とグローバル問題を前に、どの国にも単独で立ち向かうことができない」、「人類運命共同体はすべての民族と国の前途に深く関わり、我々が生まれ育ったこの地球を仲睦まじい大家庭に建設すると共に、各国国民の憧れや夢を適えるものだ」と説明する。

アメリカは、中国のプロパガンダにはげしく反発する。米中対立の溝はふかまる。「自由、人権、民主主義、法の支配」の政治思想は、中国にどのように対抗するか。

現代の西洋流政治思想と国家統治学は混迷の時代に入りつつある、とわたしは思う。

 

◆論点23.4 万国に対峙する西郷精神の現代的意義 

 西郷がいまの世に生きておれば、習近平との首脳会談に「遣韓論」ならぬ「遣中論」をもって、西郷が全権使節として派遣されることを夢みる。 

西郷は、一般的な意味の政治家ではない。官僚でもなく、教育者でもなく、道徳家でもない。「時に従ひ勢に因り」(遺訓第3条)、「抜本塞源」の革命運動に身を投じ、「丈夫玉砕」の覚悟をもつ軍人政治家である。「強きをくじき弱きをたすく」、下々の生活をおびやかす害悪を武力によってでも排除することを自らの使命とする。

学者の理論体系よりも「知行合一」、「事上磨錬」の日々の具体的な実践に価値をおく活動家である。富生産の源泉を肉体労働の農業におく農本主義者である。

だから「堯舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよ」というだけでは不十分、いかにも誤解をまねきやすい。

乱世に対応するためには「春秋左氏伝を熟読し、助くるに孫子を以てすべし」。

西郷が生きた幕末、明治維新の時代における日本人にとって大なる「害悪」は、遺訓第11条でいう「未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己を利する野蛮」な西洋列強の帝国主義国家群である。

西郷がむきあう現実は、万国対峙する植民地強奪戦争の乱世なのだ。西郷は、軍隊を保有せず無抵抗をよしとするガンジー的な絶対平和主義者ではない。

■遺訓第3条:

政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。

遺訓追加二:  

漢学を成せる者は、いよいよ漢籍に就いて道を学ぶべし。道は天地自然の物、東西の別無し。

いやしくも当時万国対峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏伝を熟読し、助くるに孫子を以てすべし。当時の形勢とほぼ大差なかるべし。

■遺訓第16条:  

(前略)徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしかども、今は昔時戦国の猛士より猶一層猛き心を振ひ起さずば、万国対峙は成る間敷也。

 

西郷は、明治6年の「征韓論」政変、明治新政府内の権力闘争にやぶれ、下野して鹿児島にかえり『私学校』を設立した。その綱領を「王を尊び民を憐れむは学問の本旨。道義においては一身を顧みず必ず踏み行うべき事」とした。『吉野開墾社』には、「推倒一世之知勇 開拓萬古之心胸」(陳龍川)の額をかかげた。

役人を辞して西郷につづいて帰郷した軍人士族らに遺訓第3条の「文武農:文を興し、武を振い、農を励ます」を実践修練する場を提供したのである。

その行きつくところが、「政府に尋問の筋これあり」をかかげて出兵した西南戦争。そして西郷は、天皇親政にはむかう逆賊として死んだ。

明治22211日、大日本帝国憲法・皇室典範発布。

明治天皇は特旨を以て、西郷の賊名を除き、正三位を贈位した。山形県荘内の人々は歓喜にわいた。

それまで公開していなかった西郷の教えのメモ等を編纂し、西郷の「遺訓と盛徳とを録して之を公にす」と宣言し、明治231月に刊行したものが、南洲翁遺訓である。

公開する主旨宣言は、以下の文章でおわる。

こい願わくは天下同感の人と篤く此の遺訓を風味し、深く其の遺徳を追想し、敬天の恭に拠り、愛人の仁に依り、尊王の忠を尽くし、顕親の孝を期し、身のゆえに非ざるの勇を振い、能く容るるの寛を養い、偏無く党無く皇極を翼賛し、万国凌駕の道を立て、以て国光を海外に観めせば、翁に於いて夫れ光有らんことを。」 

 

西郷は、「偶成」と題してつぎの意味の漢詩をのこす。

 宇宙は日々あらたにおもむき (世界は狭くなって) 数千里外すでに隣のごとし、

四海同胞の意を知らむと願わば 皇道しきりに万国の民に敷け。 

 四海同胞」の出典は、『論語』にある「四海の内、皆兄弟なり」の言葉。心と礼儀を尽くして他者に交われば、世界中の人々が、みな兄弟のように仲良くなれる。

ここから「四海兄弟」、「四海同胞」という語がうまれた。今の世で使われることはめったにないが、「人類みな兄弟」という標語をかかげる団体はある。ひとつのユートピア像である。

この西郷精神の現代的意義を問うとすれば、遺訓第1条「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふもの」という「廟堂」をはじめとする王を尊び」、「尊王」、「皇極」、「皇道」などの言葉の思想的真意をまず問題とすべきだろう。

わたしは西郷が「単純な天皇崇拝者」だとは思わない。

 

日本国憲法は、前文に「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と記す。冒頭に第一章「天皇」、第二章「戦争の放棄」をすえる。

この憲法が立脚する「自由、人権、民主主義、法の支配」も西郷にとっては、ひとつの「一世之知勇」の歴史的産物にすぎない。

創立75周年をむかえた国連の安保理事会の常任理事国は、なさけなくもお互いに不倶戴天の不信関係にある。国家絶対主義者たちは、天を共にいだく「四海同胞」の規模宏大なる道義心を「お花畑」と冷笑し、節義廉恥なき国益主張に閉じこもる。

国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)の実現には、「自由、人権、民主主義、法の支配」の限界をみすえ、国境を横断して「共に天をいだく」国家統治学を構築すべきである。

中国は、「人類運命共同体」、「恒久平和」「普遍安全」「共同繁栄」「開放包摂」「清潔美麗」などの美辞麗句を掲げる。

中華思想の現代版である「現代的社会主義」と「人類運命共同体」を標榜する中国の政治思想に、これからの日本はどのように対抗するか。

 それは、習近平国家主席にむかって、天を共にいだく「開拓萬古之心胸」、「敬天愛人」の精神を主張すること。

そのために「規模宏大の志」をもつ国家指導者を育成すること、これが西郷精神の現代的意義である、とわたしは思う。

 

◆論点23.5 忠孝仁愛教化の道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し

日本画の巨匠、横山大観(1868~1958)に「迷児」という題の作品がある。題の主旨を晩年の回想『大観画談論』でつぎのように述べる。

 「当時の日本の思想というか、信仰界というか、それはひどく動揺混乱しておりまして、孔子の崇拝者もあれば、耶蘇信者もあり、仏教信者もあれば老荘信者もあるというふうで、信仰の帰趨も判じ難かった。その世相を示唆したつもりで、孔子・キリスト・釈迦・老子の四聖の間に日本の一幼児を連れて来て、『迷児』という題にしました。

 「当時」とは、大観が「迷児」を制作した1902(明治35)年のことである。この年は日英同盟協約調印、2年後に日露国交断絶、ロシアに宣戦布告、日露戦争に勝利、日本の国際的地位が上昇、大日本帝国の海外伸長のステップが加速する。

 この年は、1867年の明治維新から1945年の敗戦にいたるちょうど中間の時期。ここを分水嶺として、日本人の思想と信仰は、武装する天皇制の軍国主義国家にむかって狂信化していく。

節義廉恥をだいじにする『日本教』から夜郎自大の驕慢・自己自慢の『皇国史観』にいたる変節への分岐点である。しかし当時その時点では、先の歴史は見通せない。

 大観は、20世紀初頭の日本人の動揺混乱する精神状況の象徴として孔子・キリスト・釈迦・老子の四聖に囲まれた幼児をえがいたのだ。

 

こここには、神仏儒が混交習合した『日本教』の「神」にあたる八百万の神々の【お天道さま】の姿はない。その「神」の代わりに西洋のキリストがえがかれる。万国対峙の世に処する「和魂洋才」を標榜すれども、「日本人の心」、精神的支柱の『和魂』のすがたがみえない。

この当時は、教育勅語の発布から10年しかたってない。明治天皇の神格化と皇国史観の強制は、まだ日本人の思想におおきな影響力をもたなかったからだ。

1867年うまれの大観は、この時35歳の壮年期である。美術界も東洋の伝統と西洋の新風のはざまの渦中にある。このとき師とあおぐ岡倉天心は、インドへ外遊中であったそうだ。『迷児』で大観自身の心中をえがいているともいえる。

 国民の思想・信仰が安定せず、価値観が動揺混乱していることは、お手本とするユートピア像の不在、めざすべき理想の世と人の道を説き教える教師の乱立を意味する。

百家争鳴、諸子百家の世相では、だれを教師としていいか迷う。

 

 西郷の漢詩には「子弟に示す」という題のものがいくつかあるが、そのひとつに次の主旨の詩がある。

  文に学んで主体性なければ 痴人にひとしく 天心を認得すれば士気ふるう

 種々雑多な百派の学説が入り乱れても 千秋うごかず一声の仁

だれかれを教師とするといえども、千年不動の真理、天地自然の摂理、天心はただ一語の「仁」である。

「仁」は、儒教のもっとも重要な教義徳目。「仁」は、仁愛と人徳による人間関係の道徳律と解釈される。仁愛は、他者への配慮。人徳は、自分を律する克己。

西郷の国家統治学は、その根本を「仁」とする。政治とは「仁」の実践にほかならない。

■与人役大体

役人においては万民の疾苦は自分の疾苦にいたし、万民の歓楽は自分の歓楽といたし日々、天意欺かず、其の本に報い奉る処のあるをば良役人と申すことに候。  

若し此の天意に背き候ては、即ち天の明罰のがる処なく候えば深く心を用ゆべきことなり。

■遺訓第9

 忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、万世に亘り宇宙にわたり易ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。

 

2020年の今は新型コロナウイルスの渦中、パンデミックの人類社会。世界は、不安に満ちている。さまざまな専門知の学者が、見識を述べる。わたしみたいな凡夫老人までも、玉石混交さまざま愚見を発信している。

 それらを全体的に俯瞰し、総合的知見と判断力を提供する国家統治学と政治システムが必要ではないか。そして「西洋と雖も決して別無し」天地自然の摂理を共通価値とする政治思想を世界に発信する。

そのためには、「規模宏大な志」をもつ政治家と国家指導者を育成すること、この教育運動こそが致命的に重大なる政治課題だと、わたしは思う。

 

◆論点23.6  『敬天愛人』を世界に発信する政治家を育成しよう! 

20209月、新総理大臣に就任した菅首相は「自助―共助―公助」をとなえる。この議論が、政治家および国民のあいだでおおいに盛り上がることをわたしは期待する。

憲法第15条の「公務員」を選定し、及びこれを罷免する者は、国民・有権者である。「規模宏大な志」をもつ政治家と国家指導者を育成することは、国民の権利であり義務でもある。

主権在民の政治思想は、つぎのように図式化できる。

※主権者教育➡政治家の育成➡選挙制度➡国会・地方議会➡統治機構⇦⇦国家統治学

 西郷があの世から現代の政治状況と政治家たちをながめれば、「民主主義の世の政治家の育成は、どげんなっとんじゃ?」と問うだろう。

 

菅首相の「自助―共助―公助」の枠組みには「数千里外すでに隣の如し」のグローバル社会の時代、国境をこえて万国に対峙する原理がない。国家統治学としては狭量で「島国根性」すぎる。学に志す者、規模を宏大にせずばある可からず。

西郷を尊敬し南洲翁遺訓をまなぶ有志たちに、 『敬天愛人』を世界に発信する政治家を育成しよう!とよびかけたい。

 

その政治家の育成は、『敬天愛人』を目的とする国家統治学の国民的合意形成と表裏一体でなければならない。

その国家統治学の対象と構成を、『大学』の格物・致知*{誠意・正心・修身―斉家―治国}*平天下の現代的応用とする。

『大学』の規模・遠近視座を「学問*{個人―社会―国家}*自然」に変換し、さらに『{私―共―公}*天』の図式に翻訳する。

格物・致知*{・}*平天下➡学問*{・}*自然➡天地自然➡『天』とする。

誠意・正心・修身➡個人の人生論➡克己➡節義廉恥➡『私』とする。

斉家➡血縁・地縁・隨縁の中間集団➡社会➡共同体➡『共』とする。

治国➡国境に閉じた領土社会➡国家➡『公』とする。

{私―共―公}*天のポイントは、日本国憲法第12条「公共の福祉」の「公共」を解体して「公」と「共」に分離すること、つまり自然社会人工国家を明確に区別すること、人類社会の上に生態系の自然をおくことである。

この図式を「自助―共助―公助―天命」の次元に対応させて、国家統治学が探求する政治システムの基本構造とする。

参照No.18 遺訓第20条 「共政―国政―大政」三次元政治システム構想

 

『敬天愛人』の政治思想を世界に発信する政治家を育成する教育運動は、万国対峙する世界で国境に閉じられた国家統治システムをどのように構想するか、象徴天皇をどのように国家統治機構に組み込むか、『三権分立』統治機構をどのように改革するか、「勤労・納税・教育」という国民の三大義務をどのように見直すか、個人の自由と権利を制約する「公共の福祉」をどのように定義するか、生活圏域の自治会・町内会にどの程度の行政権限を付与するか、そのために戦後憲法をどのように改正するか、などなど「規模宏大な志」をもって議論する場でなければならないだろう。(参照補論23.2 『国家統治学』の国民的合意形成

その運動は、「いま、ここ」を生きる現役・壮年世代(職業期)が中心になるのではなく、「これから、どこか」で生きる道をさがす若者・少年世代(学業期)が先頭にたつべきだろう。

退職して人生最終章を生きる老人世代(修業期)の社会的義務は、その運動に参加する少年世代と壮年世代を応援鼓舞すること、人生論と死生観を語りながら過去の反省を伝えること、そして『敬天愛人』の世の理想社会の夢を若者に託すことだと、わたしは思う。

 

問題とすべきは、これからのデジタル社会における『天』=天地自然=学問*{}*自然=自然の摂理=天命の意義である。

天命」は、アジア大陸の辺境に位置する日本列島に定着した日本人に固有の自然観・生命観・死生観をはぐくみ『日本教』に結実する。

教祖・教義・教典なき『日本教』は、「お天道さま」を畏敬し、先祖に祈り、世間の目を気にし、空気を読み、「強きをくじき弱きをたすく」相互扶助、「旅はみちづれ世はなさけ」のお互い様を渡世の仁義とする。西郷の『敬天愛人』に通じる。

節義廉恥と義理人情を集団生活の潤滑用とする『日本教』は、海に囲まれて逃げ場がない列島住民にそなわる島国根性の特性=徳性である、といわねばならない。

わたしは、「天命」に恐懼戒慎し節義廉恥を本義とする西郷の『敬天愛人』を、世界に発信することによって、象徴天皇によって統合される島国根性を、四海同胞・人類みな兄弟の「地球村根性」に昇華させる「道程」(高村光太郎)を夢想する。

日本の国家統治学もそろそろホッブス、ロック、ルソーなどをもちだす西洋学崇拝から卒業すべき時代だろう。

自然的・東洋的・日本風土的な心情土壌に根をはやすオリジナルな日本思想家もたくさんいる。たとえば安藤昌益の『自然真営道』や中江兆民の『三酔人経綸問答』など、「脱亜入欧」ならぬ「脱欧入亜」の気性をもって、中国のいう「人類運命共同体」論へ議論をふっかけていくべきではないか。

そういう気概の政治家を育成すべきではないか。

「空気をよみ、世間の目を気にして、同調圧力によわい」という日本人のふるまいを、「未熟な個人、自立精神の不在」などと単純に批判するだけでいいのかと、世間意識をきらうリベラル知識人に問いたい。

 

これからのデジタル社会に生きる生身の「個人」は、社会的関係性において、血縁―地縁―隨縁それぞれの関係性において、リアルとバーチャルな空間において、国境などやすやすと超えて多面的な関係性を生きる生身=∑社会的分身の社会生活者なのだ。

たかだか100年前後の一過性を生きる個人レベルの「自由―人権」と期限未定の集団レベルの「民主主義―法の支配」を安易につなぐ現代の国家統治学は、AI・人工知能とロボット・人造人間が主要な労働力をになうデジタル社会において、根本的に問いなおされるべき賞味期限切れの運命にある、とわたしは思う。

「役人においては万民の疾苦は自分の疾苦にいたし、万民の歓楽は自分の歓楽といたし日々、天意を欺かず」の天意は、いまや民意をビッグデータ解析するAI・人工知能に託宣してもらう時代である。

 

日本国憲法は、天皇―【{国会*内閣*司法}―地方自治】*国民生活という図式を国家統治の基本構造とする。「自助―共助―公助―天命」の枠組みからみれば、「自由―人権」だけを尊重する日本国憲法の思想には、「共助」と「天命」が内包する道義精神が欠落しているのだ!

だから国家が独占する「公共の福祉」の「公共」を解体し、「公」福祉・公助と「共」福祉・共助に明確に分離すべく、憲法第12条と第13条を改正すべきだ、とわたしは提案する。

 

おおくの日本人の心情に潜在する『日本教』をあらためて再評価することによって、菅首相が目玉とする「自助―共助―公助」にデジタル庁設置の議論をかさね、温故知新をかかげ、戦後レジュームを脱却する憲法改正の議論が国民的に盛り上がればいいな!とわたしは思う。

主権者教育政治家の育成➡『敬天愛人』を世界に発信➡戦後憲法思想を「抜本塞源」する、規模宏大の思想革命運動を人生の終業期を生きるわたしは若者世代に期待する。

 

※『私―共―公―天』のキーワード

 : 個人 自治 自助  自由主義  人生 人生三毛作 身心頭(無我、自我、大我)     

 : 社会 共治 共助  集団主義  人情 共生思想 相互扶助(中間集団、コモンズ

 : 国家 法治 公助  立憲主義  人権 三次元民主主義(自治―法治―徳治

 : 地球 徳治 天命  天地自然  人道 敬天愛人(南洲翁遺訓、老年的超越) 

人情 人間が本来もっている他人に対する思いやりやいつくしみの心。   ➡集団生活

人権 人間が人間らしく生きるための生来持っている自由かつ平等の権利。➡法治国家

人道 人間として守るべき道。人間愛、慈善・救済、平和・無抵抗などの主張。➡人類社会

 以上  NO.20へ      NO.22

 

◆補論23.1 神仏儒」を混交習合した『日本教』を基盤とする国家統治学の素描

日本における国家統治学の創出は、聖徳太子にはじまる。

古代中国の戦国の世を統一した隋を理想の国家として古代天皇制を設計した。その精神性は、仏教を中核とする神道・仏教・儒教の混交習合である。

その徳目は、17条憲法によって役人に開示された。下々が目をみはるほどの荘厳壮大な寺院を建立し、仏像を安置し、鎮護国家の公家政治思想と貴族・僧侶による官僚機構をととのえた。その国家統治の原型は今の世にも残る。

 

源頼朝による近世封建制の武家政治は、鎌倉の地に朝廷権力とは別種の幕府権力を創出した。戦国の世の領地を安堵する主家統領と御家人との主従関係の精神性は、東国武士の土着民がうけつぐ古代神道を中核とする「神・仏・儒」のご都合主義的な混交習合である。

兵乱の世の栄華をのこす石垣の城壁、縄文人を起点とする教祖なき教典なし教義なしの神社参拝、八百万の神々の「お天道さま」信仰の天道思想、主従関係における「お上意識」は、今の世にものこる。

 

徳川家康が、戦国動乱・下剋上の世をとじ、天下統一の世の幕藩体制による武家政治をはじめる。その精神性は、「神・仏・儒」のご都合主義的な混交習合を、儒教・朱子学を中核として学問的に体系化し、仏教寺院や神道神社を政治機構にとりいれ、天皇家の存続をゆるし、西洋の唯一絶対の神を信仰する耶蘇教・伴天連の布教を禁じるものである。

鎖国による日本列島社会の天下泰平をめざす江戸時代の国家統治学は、朱子学・陽明学・孫子兵学・韓非子など、浄土教・禅宗など、老子・荘子など、古事記・万葉集・国学など、『八百万の神々』が壮大に混交習合した日本民族精神といえる。

その精神をわたしは『日本教とよびたい。その精神性は、自由と民主主義の今の世を生きるおおくの日本人の心にも伏在しているとわたしは思う。

 

江戸時代の末期、日本列島近海に北から、西から、東から異国船が出没してきた。草莽の志士らの攘夷運動は挫折し、鎖国の扉を脅迫的に開かされた。江戸幕府の政治思想と国家統治学は、転回せざるをえなかった。

王政復古の大号令につづく明治維新の「五か条の誓文」が発布された。西洋列強との不平等条約を改正するために、西洋近代流の国民国家を建設する基本方針は、富国強兵をめざす文明開化と王政復古の折衷である!!

世界史的レベルでの農業・工業・商業の経済構造の規模拡大と産業革命と市場変化にともなって、武家大名が割拠する封建制の武士の世はおわる。

鎖国から万国対峙する開国へ、日本史は明治維新による近代国家形成にむかう。

天皇・朝廷が認証する征夷大将軍を最高権力者とし、「神・仏・儒」を精神的支柱として幕藩体制をささえた政治思想は、西洋近代思想からみれば因循姑息で時代遅れ、前近代的で野蛮な東洋的未開思想とみなされた。

 

明治新政府は、廃藩置県による中央集権国家を王政復古の「ユートピア」とするために、国家統治のあらたな政治権力を正統化する神話と神学を創造せねばならない。

寺子屋のお寺を廃仏毀釈し、森の鎮守の神社統廃合を強引にすすめた。儒教の「五常」(仁義礼智信)と「五倫」(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)の人間関係の徳目は、人間を差別して抑圧する封建的道徳として排斥された。

国学者たちは、「神・仏・儒」習合の「仏・儒」を中国から輸入した異国の唐様とみなして排除した。八百万の神々は、古事記を根拠にして天照大神の下に一元化された。

政治革命には思想革命が先行する。

明治政府は、日本人・庶民の文化と伝統を破壊し、日本国の独立を維持する国家統治学のために、日本民族のヤマト魂の『和魂』を創出したのだ。

『和魂』とは、万世一系の天皇家を神の子孫とみなす天皇神話、皇国史観、国家神道の精神性である。

 

大日本帝国憲法は、天皇を現人神にまつりあげ、皇国史観の天皇教をでっちあげ、天皇を神聖不可侵の絶対的な国家元首として崇拝する『和魂』を、近代国家日本の国家統治学の基盤とした。

曲学阿世の学者らがぞくぞくとあらわれ、臣民思想を異口同音にかさねた。「教育勅語」を国民道徳の根本とし、学校教育を通じて国民に強制した。「忠君愛国」を天皇制の精神的・道徳的支柱とした。

八百万の神々の信仰と仏儒と先祖崇拝が習合した「お天道様」をあがめる「日本教」が、あわただしくも「天皇教」にとって代わられたのである。

村落共同体の自治的生活をいとなむ下々は、天皇の下で「自由と人権」なき臣民・赤子、国家への奉公人となった。国民の自由と人権尊重を大前提とする西洋近代思想からみれば、時代錯誤というよりも歴史の逆流といえるだろう。

 

王政復古をかかげる明治新政府の国家統治学の思想基盤は、「神・仏・儒」習合から『和洋折衷』へと転回した。やまとこころの国学の根に洋学の幹を接ぎ木した『和魂洋才』である。水と油の同居といえよう。

『洋才』を移入するために、英仏独米からそれぞれの分野の学者を招聘した。

「封建制は親のかたきでござる」という福沢諭吉に代表される「西洋かぶれ」の知識人たちが、あらたな国家統治学の創出にはげんだ。

儒教・朱子学を中核とする徳川幕府の昌平坂学問所に代わって、東京帝国大学が啓蒙思想にもとづく洋学を中核とする最高学府へと脱皮した。医学や工学など功利的な技術論にすぎないとみなされた洋学が、学問の頂点の座におかれたのだ。

西郷の人格に傾倒する「東洋のルソー」と称される中江兆民は、その豊富な漢学の素養のゆえに西洋一辺倒の「脱亜入欧」の知識人たちとは別の道、東洋思想に軸をおいた。

江戸時代に成熟した神仏儒習合の「徳」をベースとする「日本教」は、明治天皇を神とみなす大日本帝国の世の庶民生活においては伏流させられたのである。

 

ここに日本の政治思想史における【徳治】+『自治』の時代がおわり、「洋才」の憲法を権威とする立憲制近代国民国家の「法治」がはじまる。

大日本帝国の国家統治学は、古代ギリシャ時代にはじまる西洋哲学と近代政治思想にもとづく西洋的文明論と国家論を換骨奪胎し、天皇を頂点とする「ユートピア」を捏造とした。

ところがイギリス、フランス、ドイツの国家制度を手本とする西洋的「ユートピア」への憧憬は、帝国主義国家が群雄割拠する節義廉恥なき野蛮な植民地戦争という現実の「デストピア」によって幻滅させられた。(参照➡遺訓第8条「西洋は野蛮じゃ」

そして大東亜共栄圏という東洋的「ユートピア」へのさらなる幻影を肥大化させ、そのあげくミイラ取りが、ミイラになったのである。

 

明治維新がめざした西欧憧憬の「文明開化」路線は、文明技術の最高水準のシンボルであるアメリカ空軍の原子爆弾の投下によって、大日本帝国崩壊の「デストピア」に帰結した。

海洋の荒波をこえて人と物をはこび、大砲を装備する蒸気船の建造と運用を可能とする洋学の技術力に圧倒されたからである。

国民ひとり残らず、それぞれの神社に参拝し、国内あげて伊勢大神宮に必勝祈願をして、英米撃滅の誓いを固める」よう時の首相が、敗戦必死の状況においてラジオで演説しても「神風」が吹くことはなかった。

政教一体・天皇制を「ユートピア」とする大日本帝国の国家統治学が、科学的合理性にやぶれるのは必然であった。『和魂』をベースとする夜郎自大の空想的日本絶対主義の国家統治学は、連合国軍の「洋才」を象徴する東京裁判によって完膚なきまで徹底的に否定されたのである。

1867年の大政奉還と王政復古の大号令から1945年のポツダム宣言受諾までの約80年の天皇制の時代、明治天皇―大正天皇―昭和天皇の御代の大日本帝国の時代、この日本史をどう評価するか。

1946年、天皇神格否定の詔書、日本国憲法公布から約75年すぎた2020年の現在、日本国憲法は「自由、人権、民主主義、法の支配」をかかげる。

「自由、人権、民主主義、法の支配」を国家統治の基本的価値とする戦後社会の歴史と現在をどう評価するか。

ウヨクの「自尊史観」からサヨクの「自虐史観」まで、人それぞれに歴史認識がちがう。

明治国家および教育勅語の評価も人それぞれである。日本国憲法の評価も人それぞれである。

たかだか100年の命を生きる「自分」が、社会―国家―自然」の空間において、いかなる居場所に「安心立命」をもとめるか、その人生論と死生観は人それぞれ。

人それぞれではあるが、ほとんどの日本人の心情の奥底には、八百万の神々を「お天道さま」として畏怖する『日本教』が潜在している、その『日本教』を、偏狭な「島国根性」に閉じこめることなく、世界規模の「地球村根性」に昇華させるべく世界に発信することを、わたしは次世代の若者に期待したい。

 

◆補論23.2 『国家統治学』の国民的合意形成  ➡ No.22