17.遺訓第19条 民主主義に「賢哲政治」と「人工知能」をくみこむ政治思想の転回 2019年8月15日

 

南洲翁遺訓第19条 古より君臣共に己れを足れりとする世に、治功の上りたるはあらず。

 自分を足れりとせざるより、下下の言も聴き入るるもの也。己れを足れりとすれば、

 人己れの非を言へば忽ち怒るゆゑ、賢人君子は之を助けぬなり。     

 

□遺訓第19条の解釈  

西郷は、島津家・薩摩藩下級士族の家に生まれた。蘭学すきの開明藩主である島津斉彬に抜擢された。そして明治維新の英雄として陸軍大将という権力者の地位にまでのぼりつめた。

その人生50年のあいだに島流し・囚人くらしなど「幾たびか辛酸(遺訓第5条)をなめた。薩摩藩にかぎらず他藩から徳川家の幕府まで、藩主の継承をめぐるお家騒動や家臣たちの「私心」がぶつかりあう権謀うずまく権力闘争のおおくの修羅場を見たり聞いたり、自分が登場人物になったりもした。

そこから「開闢以来世上一般十に七八は小人なり」(遺訓第六条)という人間像をえた。万民の上に位する「君臣」といえども、その中にはおおくの「小人」も混じる。島津久光と佞臣たち側近の立ち居振る舞いをみよ、というわけだ。

 

権力はくさる。「Power tends to corrupt and absolute power corrupts absolutely.

権力者は尊大と傲慢になりやすい。「人己れの非を言へば忽ち怒る」のが上に立つものに潜在する資質である。

組織のなかで立身出世をめざすおおくの家来・家臣・臣下が、人事を支配する主君に迎合して忖度するのは、人の世の常である。

 

だからこそ遺訓第19条は、国家の為政者である「君臣」にたいして、「政治に私心をはさむな」(遺訓第1)と具体的に訓戒する。「私心」とは、己を愛することである。

□遺訓第26「己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐り驕慢の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。」

 

 為政者である君臣にたいして、【修己治人】+【滅私奉公】+【丈夫玉砕】の政治道徳を教える地位の者が、西郷の政治思想が必要とする「賢人君子」にほかならない。

 

論点19.1 「聖人君子」でなく、なぜ「賢人君子」なのか ~合理と道理

西郷は、為政者たる「君臣」を助ける者を「聖人君子」といわず「賢人君子」という。現代的解釈では、社会生活の価値道理性を教える者が「君子」である。目的―手段の合理性を教える者が「賢人」である。

西郷は、「君子―賢人」といわずに、あえてひっくりかえして「賢人―君子」と序列化する。これは何を意味するか。

 

儒教が理想とする為政者の人格像には、「天帝―天子―聖人―君子」の序列がある。

天帝は、この世の人間ならざる「天下を支配する者」を擬人化した偶像・象徴である。天子は、その天帝の意をくんで、天下の人民をおさめるために生まれた現世の人、最高の権威の座にすわる「現人神」とみなされる。

 

士農工商の身分制を受け入れた江戸時代の平民たちは、京都の宮中・御所にかくれあさばされ、民の幸と世の平安を祈ることを職分とする「天皇陛下」を天子様とみなした。

聖人―君子は、古代中国の政治思想において、「天帝―天子」の天意を代弁して武士に「政治の道」を教える教師・導師である。

君子は、聖人についで2番目にアタマとココロが豊かで高潔な理想的な人格者とされる。遺訓第36条には、「聖人―賢人」を意味する「聖賢」という人物像がある。

 

ところが学者ならざる軍人政治家としての西郷は、「聖人―君子―道徳家」という系列の者を「処分(実務能力)」なき「口舌の輩」とみなす。(遺訓第36条ほか

西郷は、「聖人―君子」を朱子学など机上の道学者・教師としてはあがめるけれども、陽明学の「事上磨錬」にもとづく現場の実践家として、「処分」のできる「賢人」をもっと重視して「君子」の上に序列化する。

 

西郷は、「処分」能力つまり清濁混在する現実の実務をさばける実践能力を重視するのだ。現実の政治は、価値道理性の道義にもとづく徳治だけでは十分ではない。専門的で合理的な才覚も必要とするのだから。(参照 ➡ 朱子学と陽明学の対比)

このような政治的人間像にもとづく西郷思想の政治構造は、つぎのように図式化できる。

※自然→【天道・天帝 →天子・天皇】 ➡{君主・君子 →臣下・賢人} ➡人民 ←自然

わたしは、この封建時代の政治思想を、現代の視点からつぎのように翻案する。

 

※地球 ➡道義・大政 ➡法治・国政 ➡自治・共政 ←自然・生態系

参照 3.西郷の政治思想が凝縮された遺訓第1条の要点・論点

    16.遺訓第15条 戦後レジームからの脱却 ~大政システムの必要性

 

西郷の政治思想は、彼岸の宗教(超越)と現世の政治(現実)の関係において、「祭政一致」と「政教分離」の中間に位置する道理権威=理念=正義)と合理権力=現実=功利)の折衷・中庸・共存・バランスである。

 

大政は、権威=威厳=威令もって【天道・天帝 ➡天子・天皇】がになう。国政にたいして正道/邪道の判断基準=正当性の「天意」をしめす道理的政治機能である。

 

国政は、権力=律令=刑罰をもって{君主・君子 →臣下・賢人}がになう。人民から税金を徴収して領地と社会生活の秩序を維持する公共事業をおこなう合理的政治機能である。

 

共政は、下々が自然と国家を所与の外部環境として受けとめ、権力者に従い、家族をベースとする村落共同体において、「お互い様」の相互扶助を規範として生きる人情的政治機能である。

 

下々の上にたつ権力者たる「君臣」は、「治効を上げる」ために「賢人君子」の助けをえて、私心を捨てる克己修練(遺訓第21条、第22条ほか)にはげみ、【修己治人】+【滅私奉公】+【丈夫玉砕】を理想としなければならない。

「賢人君子」の助けを求めず、臣下の意見に耳をかたむけず、「己れを足れりとする」唯我独尊・驕慢傲慢・夜郎自大・専制君主・暴君独裁・自国第一・裸の王様の治政は民をくるしめ、国をほろぼすことになるのだ。

 

※問題  

現代の立憲民主制の政治システムにおいて、西郷の政治思想における「賢人君子」の人間像と役割は、不要なのか。

政府と省庁が任命する各種審議会、諮問会議、有識者会議などの委員は、民主主義における「賢人君子」だ、といえるか。

戦後の日本国憲法の政治倫理は、いかなる人間観・哲学・思想・伝統を根拠としているか。

参照  ◆論点9.2 「忠孝仁愛教化の道は政事の大本」の現代的解釈

 

◆論点19.2 封建制度の政治倫理 ~文武両道=才智一体

南洲翁遺訓は、戊辰戦争後の明治初期、西郷の謦咳にせっした荘内藩の酒井家藩主と家臣がのこした記録である。その主意は、国家の為政者たる人物にもとめる理想的政治家像である。

それは、士農工商の世襲制身分制度を前提にして、「君―臣―民」の政治機構を当然とみなし、それを正統化する儒教・漢学を素養とする、荘内藩「君臣」=武士による西郷理解の限界をまぬかれない。遺訓に古代中国の漢籍からの引用がおおい所以である。

 

近代西洋思想にもとづく進歩史観の知識人たちにとっては、神仏儒老洋に韓非子や孫子が習合する西郷のチャンポン政治思想は、どうみても因循姑息、ほこりをかぶった時代遅れの低俗なしろものに過ぎないかもしれない。

 

しかし西洋にも「ノブレス・オブリージュ」という高い地位や身分の者にもとめる社会的義務、政治道徳の伝統がある。キリスト教の世俗的実践倫理として騎士道があったのだ。

江戸時代の幕藩体制の封建治政においては、士農工商の身分制度の為政者である「武士」にたいし、「武士道」という倫理道徳=文武両道=才智一体(41条ほか)による「私心をすてる」克己修練をもとめた。

騎士道も武士道も、平民・庶民・農民・市民たちの上に位して、税金を徴収する特権階級の身分であることの自画像=「対自」認識をベースとする「即自」的かつ「対他」的自己認識を鍛錬したのだ。

武士たるものは、人智をこえる超越的存在=「天」を想念して畏敬し、人智をこえる「天」の視座から己を卑小化して、私心にもとづく私利私欲を恥じ、節義と武勇を名誉としたのである。

 

※問題

20197月現在、自民党と公明党の連立政権が支配する日本の民主政治において、現代の「君臣」である国家権力を行使する為政者たち、つまり立法府の国会議員・総理大臣と政権幹部と行政官僚たちの言動ふるまいと品性と人物像をどう評価するか。

 

主権在民の現代の日本の政治状況において、国会議員・大臣・官僚・裁判官・首長などの公務員(日本国憲法第15)にたいして、文武両道の「武士道」を説くことは、荒唐無稽な時代おくれの封建思想にすぎないのか。

 

国民から税金を徴収できる特権者である国会議員や官僚たちに、【修己治人】+【滅私奉公】+【丈夫玉砕】の政治倫理を求めることは、前近代的政治思想の亡霊をよびもどす時代錯誤なのか。

そもそも国会議員や官僚たちは、だれを「教師」として己を研鑽して、その職務をはたしているか。

参照  ◆論点5.3 西郷の志の現代的意義 ~公務員の「修己治人」

      ◆論点5.4 徳治―法治―自治をバランスする政治思想への期待

 

◆論点19.3 聖徳太子の「十七条憲法」と南洲翁遺訓との同質性 ~聖賢思想

 国家の為政者たるものへの訓戒に、古くはすでに聖徳太子の「十七条憲法」(604年制定)がある。

一 天子と臣下は、道理にそって議論して調和すべし

二 三宝(仏法僧)を敬うべし。

三 天子は自然の道を行うべし、臣下は天子の命令に恭順すべし。

四 公家百官は、礼儀を持って民衆を治めるべし。礼儀が、国家を自然に治める基本。

五 財産を有する者から賄賂を貰って裁きをするな、貧乏な民衆に寄り添うべし。

六 天子を欺き、媚びへつらう臣下が、国家を乱す元凶であることをこころすべし。

七 賢い才人を任官すべし、邪悪の者を任命することが禍や乱れの根源とこころすべし。

八 公家百官は、朝早く出仕して遅く退出すべし。

九 公家衆ともに、誠実に言行一位を基本とすべし。

十 人も我も、賢者でありかつ愚者であり、共に凡夫であることを自覚すべし。

十一 信賞必罰の基準を明瞭にすべし。

十二 民衆に二君なし、徴税者は君主ひとりとすべし。

十三 役人は、お互いの事情に配慮して補完しあって職務を果たすべし。

十四 公家百官は、才能が自分より優れた人を嫉妬してはならぬ。

十五 臣下は、私心を捨て公務に従うことを道徳の基本とすべし。

十六 民衆を使役するには、冬の農閑期を選ぶべし。

十七 大事な議論は、必ず多数の者と一緒に分別すべし。   

 

古代天皇制創出期の聖徳太子は、古代中国を統一した隋を先進文明国として、古代日本国家建設の手本とした。

1250年後に王政復古を宣言した明治政府は、世界に覇をきそう西欧列強の帝国主義国家を先進文明国として、近代日本国家建設の手本とした。

ところが、西郷は西洋の帝国主義国家を先進文明の手本としなかった。西洋文物にあこがれるどころか、逆に「西洋は野蛮じゃ」(遺訓第11条)という。

 

西郷は、「節義廉恥」(遺訓第16条)の志操欠如という視点から、欧米一辺倒の明治政府を批判するのだ。

その西郷の政治思想を説く【南洲翁遺訓】と聖徳太子の【十七条憲法】は、政治道徳の基本的な価値観においておどろくほど重なる。その間には、約1250年の歴史の変転があるにもかかわらず。

 

南洲翁遺訓第1条の「官は其の人を選びて之れを授け」は、17条憲法第7条「官の為に人を求め、人の為に官を求めず」を継承する。官職に就くものは、「万民の上に位する」地位にふさわしい高潔な大人物でなければならない。

この政治思想は、一種の「選良主義」(エリート主義)または「哲人政治」思想(プラトン)である。

※問題

2018年の安倍内閣人事局による財務省高級官僚の人事は、「公平、私心を挟まぬ」といえるか。権力者を忖度して媚びへつらう「奸臣・佞臣・小役人」へのろこつな論功行賞ではないのか。

 

国権の最高機関の職につく与野党の国会議員たちによる国会運営と議論のしかたは、聖徳太子の「十七条憲法」にてらして、どのていど「進歩」しているか。 

 

小選挙区を基盤とする現在の選挙制度は、国民を代表する国会議員という「其の人を選ぶ」「正当」な仕組み(日本国憲法前文)といえるか。

参照 ➡  0.西郷隆盛の「敬天愛人」思想の現代的意義  

論点6.4 「敬天愛人」をベースとする重職に就く者の人間教育、リーダー教育

              

◆論点19.4 個人と社会と国家の関係 ~権威と権力と政治

1)自然社会から人為的国家の誕生

 いまから数万年まえ、アフリカから出発して地球上の各地に散在した人類は、家族を単位とする氏族や部族などの共同集団をつくり、道具の工夫と発明=技術により社会生活を向上させながら、生活圏をひろげ、社会的人間関係を複雑化させてきた。

その自然社会から豪族や大王などと称される首領者が出現し、一定領域内の社会生活の秩序を維持するために、統治機構と政治システムを運用する人為的「国家」を誕生させた。(参照 縄文時代➡弥生時代➡古墳時代➡律令国家へ

 

※自然社会 → 政治システム ➡ 人為国家

※政治システム = 自然環境 ←→{統治機構+内政・外交} ←→社会環境

 

国家の統治機構は、古今東西つぎのように図式化できる普遍的な構造をもつ。

※【超越的価値】 →①地上・権威者 →②国家・権力者 →③社会・生活者

 ②国家は、③社会・生活者である住民から税金を徴収し、租税を原資とする政治機能をになう特権階級の人間たちの登場によって誕生する。

 

②少数の国家・統治者集団と③大多数の被治者とが上下に分離されて階層化される。統治者と被治者との権限関係における非対称化である。

天下・地上を支配する君主・王様・皇帝・天子・天皇・大統領・元首と貴族・大臣・官僚・家臣・軍人たちが、②国家・権力者として政府という統治機関を設立する。

 

③社会・生活者は、たんなる地域住民・庶民ではなく、国籍を付与されて「国民」と呼ばれる被治者集団の一員として戸籍台帳に登録される。②政府は、文字(法律)と通貨(課税)と武器(刑罰)によって、③社会・生活者を統制する。

 

②国家権力を行使する統治者は、自らの出自の正統性と権力行使の正当性を下々の被治者に説諭するために、①地上・権威者の地位に巫女・僧侶・学者・聖人・教父・法王・教皇などという身分をつくり、超越的価値=人類社会の普遍的価値=神や創造主=自然法=自然権=一般意思=国民の総意などなどの理屈を人為的に案出させる。

権力行使を正当化するために、①権威者を造作して「権威」としてあがめるのである。

 

2)権威者―権力者―順応者

「権威者―権力者―順応者」という三層構造は、国家にかぎらず「上―中―下」の組織構造をもつ各種集団にみられる一種の「フラクタル」現象である。

この三層構造は、完全分離型「//」の権力集中・垂直構造から完全一体型「=」の権力分散・水平構造を両極として、古今東西のさまざまな政治システムによって実現されてきた。古代国家の呪術政治から専制政治をへた現代民主政治まで。

そして、それぞれの権力構造を正当化する権威者が、理性と学問の名の下で政治哲学と政治思想をひねりだすのである。

 

③社会・生活者たち国民の大多数は、自分を保護してくれる「権力」と「権威」と「政治システム」を受け入れる。積極的または消極的または諦観的または絶望的に。

 

権威と権力にたいする個人の姿勢、思想信条=政治意識は、人それぞれである。権威や権力をいっさい否定して生きる無政府主義者や流民や隠遁者などの脱俗ユートピアンたちは、きわめて少数の者たちだろう。

(参照 ➡荘子の蝸牛の争い、陶淵明の桃源郷、孫悟空の掌、安藤昌益の自然世、クロポトキンの相互扶助など)

 

3)天道思想  

「天道」という語は、古代律令国家で編纂された【日本書紀】にすでに「政治の筋道が天道に適う時には天端が現れる」とあるそうだ。

 「天道思想」の現代的意義は、人道主義、国家主義、社会主義、共産主義、民主主義、全体主義などなど各種各様の政治的主義主張を、どれも絶対的な真理とせず否定もせずに、多様性のひとつとして相対化する国家思想である、とわたしは考える。

 

西郷は、「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふもの」、「道は天地自然の物、西洋と雖も決して別無し」という。聖徳太子は、「天子は自然の道を行うべし」という。

この政治思想は、【超越的価値】を「自然」として、天下地上の人間をつぎのように序列化する。

※【自然・天道・天帝】→①天子・天皇 →②君臣・文武官→③小人・平民・農工商

 

西郷は、「開闢以来世上一般十に七八は小人」(遺訓第6)という。「小人」とは、士農工商の身分制に関係なく、「聖人君子」に対比して「徳の低い」者である。ここに西郷の封建的かつ道義的な人間像がたんてきに表明されている。

人間を家系門地・出自=正統性と「徳」の基準=正当性によって、聖人と俗人とをはっきりと差別して序列化するのである。

 

西郷が生きた前近代の政治思想には、近代の啓蒙思想からうまれた「個人の自由と人権の平等」などという概念はなかった。

ひとりの人間は、独立した自由な「個人」などではなく、夫婦、親子、兄弟、長幼(少壮老三世代)の家族関係を生活基盤とする「共人・社会的人間」として生きることを疑わなかった。

ひとりの人間は、家族をこえた婚族・氏族・部族などの集団社会に生活基盤をひろげ、国家が領地を支配する社会集団のなかで、「①権威者―②権力者―③生活者」という三層構造の「身分」関係のやくわり分担によって生活を維持し、それぞれのカラダとココロとアタマ(心身頭)の欲望充足をめざして、少年→壮年→老年の人生街道を歩き、そして死にいたることを、自然の道と了解した。

 

西郷の政治思想の究極目的は、あくまでも国家権力者による「忠孝仁愛教化の道」にもとづく経世済民、下々の社会生活の安寧である。

②国家・権力者と③社会・生活者を「お上→下々」の上下関係に明白に分離する「①権威者//②権力者//③生活者」という分断された統治機構を自然とみなす。

 

だからこそ、西郷は、特権階級の国家権力者にたいして、【修己治人】+【滅私奉公】+【丈夫玉砕】をめざす克己修練を求めるのだ。

その思想基盤は、超越的価値】を、神仏儒老に韓非子や孫子を茫洋として習合させた【自然・天道・天帝】とする「天道思想」であり、その実践は「敬天愛人」、「人を相手にせず、天を相手にせよ」である。(遺訓第25

 

4)お天道様をあがめる「日本教

西郷は、「は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し」(遺訓第9条)という。

「道」は、点と点をむすぶ通路である。人と人、集団と集団、地域と地域、国と国など、たくさんの点と点をむすぶ通路は、全体として「網」となる。現代用語でいうネットワークである

西郷のいう天地自然の「道」=天道は、「天網恢恢疎にして漏らさず」という老子の「天網」と同義である、とわたしは解釈する。

 

天網は、天上界に張られた宇宙の天蓋であり、天下・地上の万物をつつみこむ。人間と社会と国家が踏み歩く正道/邪道、王道/覇道、公道/人道などは、天道の一部にすぎない。(天網の一部は、物理・化学・生物学などの自然科学のほかに、いまや人間の脳細胞の神経回路、ニューラルネットワーク、人工知能を実現する数学・数値計算によって開示される。)

古今東西、人間の「心」と「頭」は、その天道・天網をみわたせる位置に座し、天下・地上の人間社会をみおろす何者かの存在を仮想してきた。

それを擬人化して「天帝」とよぶ。ここから宗教と神学がうまれる。

 

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の「天帝」は、天地創造の神「ヤハウェ」である。仏教では、「帝釈天」であり、バラモン教・ヒンズー教・ゾロアスター教の「武神」と一体化される。

 

儒教の「天帝」は、天上の最高神ではあるが、「怪力乱神を語らず」、形而上学や観念的哲学にはふみこまない。儒教は、あの世に住むという「天帝」を人格神として崇拝する意味での「宗教」とはいえない。儒教は、現世の政治道徳であり、この世に生きる「聖人君子」をもって、天帝を祀る天子の下で天命・天意の伝授者とする。

 

無為自然の「天道:タオ」を説く老荘思想をうけつぐ道教では、世俗を超越する神的存在を「神仙」とか「仙人」と称するが、現実の政治権力からは距離をおく。

 

日本の「天道思想」は、戦国時代の武将たちにとって、戦場における勝負を「天命」と「天運」にまかせて納得する死生観と道徳観をささえるものとして生まれたとされる。(→日本史における政治思想としての「天道」については、歴史学者の神田千里の著作などを参照。

この「天道思想」は、古代神道の「八百万の神々」の自然崇拝に国学の天照大神と仏教と儒教の教義を習合させたものであり(武運の神=八幡大菩薩=応神天皇など)、江戸時代においては人智をこえた超越者を「天」として畏敬する「日本教」となった。

 

何でもありの習合がもたらす「精神的雑居」を特徴とする「日本教」が、士農工商の身分に関係なく日本人の生活規範として広く深く浸透したのである。

日本人の大多数である小人・庶民・農民にとって、「日本教」の権威は、「何でもお見通し」の「お天道様」である。

「お天道様」からみて「人間ってナンだ? 世間ってナンだ?」を、子供に教える先生は両親と祖父母であり、大人に教える先生は神社の神主・お寺の和尚さん・寺子屋と私塾などの翁であった。

参照 ➡ 林羅山(【神道伝授】)、中江藤樹(【翁問答】)、伊藤仁斎(【童子問】)、荻生徂徠(【答問書】)、本居宣長(【玉勝間】)、石田梅岩(【都鄙問答】)、二宮尊徳(【二宮翁夜話】)、吉田松陰(【講孟余話】)など

 

5)日本教の意義

超越的価値】=自然=お天道様への畏敬は、節義廉恥、謙虚、寛容、相互扶助、お互い様、仁愛などの社会規範を自ずとうみだす。人智をこえる超越者を祀り、権威化することによる人間理性の相対化である。天道の下の人道である。

 

この思想にもとづく人間観は、人間を自然の摂理のもとで生きる「けなげな」存在者とみなし、生物の一種の人間の存在だけを、「即自的」に絶対的に価値ある存在としない。「天」の視座から、人類を生物の一種として「対自化」する。

人類は、地球に生きる生物の食物連鎖の生態系の最上位置に君臨すれども、天道思想の「日本教」は「人命」だけを絶対視しないのだ。

 

お天道様をあがめる「日本教」の本質は、西洋思想の唯一絶対の神を否定して、八百万の神々の存在の多様性を受け入れる共同性、肩を寄せ合って生きる自治原理の集団性である。

「日本教」には、教祖はいない、教義を述べる教典もない。多くの日本人のココロに潜在する無意識的な「不立文字」の心象世界の秩序原理である。

日本教の人間観は、「天の下の人間、それぞれお互いさま」である。周囲の空気を読み、集団意思に同調する弱い謙虚な人間像でありながら、かつ自制心をきたえる倫理観の強い人間像が共棲する、朦朧たる実存者である。

その「ほどほど、まあまあ」の人間観は、人間の人権と国家の主権もふくめて「自分を絶対視」しない相対思想である。

「日本教」は、大多数の日本人にとって「対自的」自己認識の鏡であったのだ。

 

※問題

戦後日本の政治思想は、天道思想とその実践作法である「日本教」をふるくさい未開の封建思想の残留とみなす。「日本教」を戦前の天皇制軍国主義をささえた集団的精神の基盤とみなす。「日本教」は、「個人の自由と人権の平等」という西洋近代思想・啓蒙思想によって全面否定される。

では戦後の日本国憲法は、「人間ってナンだ? 社会ってナンだ? 国家ってナンだ?」という政治思想の根本問題に、何を根拠にして、どのような回答をあたえているか。

 

◆論点19.5 日本国憲法の政治思想 ~個人の人権と国家の主権  

2019年の現在、西郷が生きた明治維新から約150年後、その前半75年は明治憲法のもとの明治・大正・昭和前半の時代である。その後半75年は、敗戦を契機にして制定された日本国憲法のもとの昭和後半・平成・令和時代である。

 

※【超越的価値】 →①地上・権威者 →②国家・権力者 →③社会・生活者

この図式において、前後憲法は、天皇を①地上・権威者とする大日本帝国の国家思想を全面否定して、③社会・生活者を「個人として尊重する」人権を、超越的価値】の代わりに【世俗的価値】の権威とする。

戦前と戦後では、国家の政治思想と統治機構と政治システムが革命的といえるほどに激変した。 

 

1)日本国憲法

□日本国憲法第97条 ~基本的人権

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

□憲法前文 ~①権威と②権力

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

□憲法第41条  ~②権力者

 国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。

□憲法第43条  ~②権力者

 衆議院及び参議院の両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

□憲法第15条 2  ~②奉仕者

 すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

□日本国憲法13条 ~③生活者

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求の権利は、立法その他の国政の上で、【「公共の福祉」に反しない限り】最大に尊重される。

□日本国憲法25条 ~③生活者

 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

2)日本国憲法は西洋近代に発した「啓蒙思想」を源流として継承する

近代国家の立憲民主主義の国政において、超越的価値】 として畏敬の対象である人智をこえる【自然・天道・天帝】は排除される。①地上・権威者//②国家・権力者//③社会・生活者という上下分離・階層化の政治思想は、人間の理性を抑圧する宗教神学と形而上哲学による非科学的で無知蒙昧の所産とみなされる。

 

ルネッサンスと自然科学にはじまる近代西洋の「啓蒙思想」は「人間ってナンだ? 社会ってナンだ? 国家ってナンだ?」という問題にたいして、キリスト教神学にしばられた社会と国家の桎梏から、「人間の理性を解放」する哲学のコペルニクス的転換をはたした。

啓蒙」とは、人間の思考を神秘的な迷信や奇跡や呪文の束縛から解放し、観察・仮説・実験・体験によって因果関係を「客観的」に実証して、「人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと」である。

(参照 ➡ ホッブス、ロック、ルソーなどの政治思想、社会契約説など)

 

日本国憲法は、その近代西洋思想を普遍的価値とみなす忠実な後継者である。主権国家の政治権力者を正統化する「権威」の座に、人智をこえる【超越的価値】の代わりに、自然権・天賦人権説にもとづく「個人」をすえるのだ。主権在民、国民主権の政治思想である。

開闢以来世上一般十に七八は小人」と西郷のいう「小人」が、国家の主権者になったのである!

 

3)日本国憲法の人間観と政治思想への違和感

日本国憲法の政治思想を基礎づける人間観は、自律的生命現象の自然な心情の国境なき天の下」の人の生理的平等ではなくて、社会の秩序を理性によって維持するための国境に閉じた国家の法の下」の個人の理念的平等である。

法治国家の政治思想の道義性は、自然の天網から人工の法網へと世俗化した。ココロの発露である自然な人情作法からアタマの作動である法文操作による人権主張へ転回したのである。

 

国会議員や大臣や高級官僚であっても法を犯さなければ、法の解釈しだいで何でもアリ、政治的な権力行使の正当性の判断に法律は無力であり、道義性は問われない。順法/違法の解釈だけが、正当性の根拠となった。

国家の政治責任は、政治家と官僚他たちの「人徳」とは関係ない。国家権力を行使する正当性の規準は、あくまでも合法/不法の司法的判断に席をゆずる。

政治職務の責任を、社会常識や道義心の次元では追求できないことは、国会の政府と与野党と高級官僚・参考人の質疑応答をみれば明らかだろう。モリカケ問題の決着をみよ。

 

主権在民と民主主義の日本国憲法の人間観は、①地上・権威者②国家・権力者③個人・権利者を一体化する等値関係の統治機構において、個人レベルでは特権階級の存在を認めず、賢哲政治を否定し、上下関係なしの平等とする。象徴天皇制における皇族をのぞいて。

民主主義は、統治者と被治者を人間としては同格とする。権力者といえども特権者ではなく、民主主義においては逆に奉仕者となるのだ。主従の逆転である。

前近代の封建的主従関係である統治者→被治者、支配者←順応者の関係が転倒したのである。

上から下への温情・恩賜とみなされる「忠孝仁愛」道徳は、「道義の衣で恣意的に権力をかくす」よこしまで封建的という名のもとで一蹴される。

 

戦後憲法の下で、国民を代表する国会議員と公務員は、主観的なココロを排除する「政治システム」によって国家権力を行使するがゆえに、国民社会への非人格的奉仕者となったのである!

日本国憲法の政治思想は、個人の理性の絶対視である。自分を対自化する「天」に座す超越者を葬り去り、「個人の生命と自由と人権」を至上価値とする。「天の下の人間、ちっぽけな個人、それぞれお互いさま」のココロ・人情を前近代的遺物とみなす。

 

民主主義の基盤である「個人の尊重」は、人間という生き物をとてつもなく理想化して、現実の有象無象の人間たちの実像からあまりにも乖離している、とわたしは思う。

わたしは、私利私欲を根本において是とする民主主義と資本主義は、ゴーマンな個人主義・人間中心主義であり、驕慢な人間像であると思うのでなんとも気持ちがわるい、と感じる。

卑小な自分が「国家の主権者である」という主権在民の民主主主義という政治制度は、なんとも身に余る、ご立派すぎて荷が重い感じがするのである。

 

4)「人間とはナンだ?!」という根源的な問い直しが必要

第二次世界大戦の終結から約75年をへた2019年の現在、「自由、人権、民主主義、法の支配、平和」をキーワードする政治思想は、ローカル/ナショナル/グローバルのいずれの社会生活においても、理念と現実のギャップを拡大させている。

いっぽうで、道具の工夫と発明により社会生活を向上させてきた科学技術の理性は、AI:人工知能と人造人間ロボットを実用化する地点にまで達した。

非人格的な論理操作を本質とするAI:人工知能の「知性」は、局所領域における合理的=功利的な判断能力において、人智をこえるほどになった。

 

「個人―社会―【政治】―国家―地球環境」と「普遍的価値―権威―権力―生活・人生」の関係性について、あらためて「人間とはナンだ?!」という根源的な問い直しが、民主主義の政治システムの再構築にあたって必要ではないか。

わたしは、憲法第13条の「個人として尊重」を「社会的関係性として尊重」におきかえる憲法改正を提案したい。 

◆憲法第13条改正私案  

何人も、人類社会の一員として生きる社会的関係性として尊重される。社会生活における国民の基本的人権は、法律にもとづいてのみ制限される。

参照 ➡ 拙稿 【共生思想】

7.4.4 憲法第13条改正案 個人から社会的関係性へ 2017125

 

※問題

民主主義の政治システムにおいて、全体の奉仕者である現実の政治家・国会議員と官僚・公務員は、その地位にふさわしい人物として、いかなる仕組みによって風教・養成・育成・選抜されているか。

そもそも「私・自分・個人―共・他人・社会―公・公務員・国家」の関係性を対自化する【超越的価値】の座に位置する憲法は、だれが、何のために、どのような手順で、どのような思想にもとづいて制定するものなのか。

 

◆論点19.6 憲法改正手順への根本的な疑問

)憲法改正手順

□憲法第96 ~権威者➡憲法制定者

この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

□第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

□第44条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。

□第47条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める

※憲法審査会のホームページから引用

「憲法審査会は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査する衆議院と参議院の機関。憲法審査会は、50人の委員で組織する。委員は、各会派の所属議員数の比率により、これを各会派に割り当て選任する。憲法審査会の「憲法のひろば」では、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うに当たり、その参考に資するため、広く国民のみなさまのご意見をメール・ファックス・封書・葉書により受け付けております。」

 

◆根本的な疑問

「衆参の憲法審査会 →憲法論議 →憲法改正原案 →国会発議 →国民投票」という 憲法改正プロセスに、わたしは根本的な違和感をもつ。

①国民の意見をメール等で憲法審査会の「憲法の広場」に届けることに、主権在民の制度としてどのような意味があるか?

→国民主権の理念と民主主義を実現する制度との間には、大きなギャップがある。ネット社会に適応した政治システムの設計に、もっともっと人類の英知を結集できるはずだ。憲法に対する国民の意見を、総合的に収集する仕組みが必要だと考える。 

 

②民意を十全には反映していない小選挙区比例代表並立制で選ばれた国会議員が、政権与党主導により憲法改正原案を作ってよろしいのか?

→国民の代表者を選ぶ現行選挙制度と政党政治システムには、重大な欠陥がある。立候補した政治家個人への投票選挙だけでなく、政策案投票と議員選挙を組み合わせた選挙制度改革と統治機構改革が必要だと考える。

 

➂現実の国会議員が、国家最高の法規範である憲法条文を規定する知性・品性・専門性を有しているか?

→国会議員の一部集団が、日本人の最高の英知を代表しているとは思えない。憲法改正原案を作成するという重大な任務を果たすためには、高度な知性・品性・専門性を有する有識者・専門家等の結集とAI(人工知能)の活用が必須だと考える。

 

2)2019年7月21日投票の参議院選挙 ~民主主義の現状

投票率は48.8%である。18歳・19歳の投票率は3割未満である。有権者の大多数にとって、自分の生活・人生と政治との関係意識が希薄である。これが「主権在民」の現状である。 

わたしは、戦前の貴族院をひきついだ参議院には、もはやその存在意義がほとんどない、と考える。

参議院を廃止して、あらたに「憲法議院」を設置すべく憲法改正を提案したい。

憲法議院は、抜本的に改革された公務員選挙システムで選抜された「賢哲公務員」によって構成されるものとする。賢哲公務員とは、民主政体における西郷のいう「賢人君子」にそうとうする聖賢人物である。  

 

安倍晋三氏は、内閣総理大臣=日本国の首相である。日本人のなかでは天皇のつぎに偉そうなつもりで日本国の代表者としてふるまっている。

安倍晋三氏は、自由民主党の総裁である。政権与党の代表者として、選挙運動の先頭にたって遊説している。その演説で、自分自身をさかんに自画自賛し、「あの人たちに負けるわけにはいかない」と政敵の野党を批判する。

安倍晋三氏は、演説だけでなくテレビなどでも、【あの】旧民主党をさかんに揶揄し、野党をさげすみ嘲笑している。政権支持者や安倍応援団のひとたちは、それを喜んで聞き、野党をバカにして冷笑して盛り上がる。

 

首相をはじめとする政治家は、支持者たちに限られる「一部の奉仕者」ではなくて、「全体の奉仕者」であるハズ(憲法第15)なのだから、立憲民主制における「万民の上に位する」者にふさわしい「帝王学」教育が必要だと、とわたしは考える。アメリカ大統領のトランプ氏も。

※聖徳太子の一七条憲法

■第十条 人も我も、賢者でありかつ愚者であり、共に凡夫であることを自覚すべし。

■第十七条 大事な議論は、必ず多数の者と一緒に分別すべし。   

※西郷隆盛の南洲翁遺訓

■遺訓第25条:人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。

■南洲翁遺訓第30条

命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 

3)ウヨクの国家主義者がすすめる憲法改正をめぐる雰囲気 

新憲法のもとで戦後70数年のあいだ国政のほとんどの期間において権力を行使してきた自由民主党は、戦後憲法を「押しつけられた憲法」とみなし、憲法の理想論を全面的には受け入れがたいとして憲法改正を党是とする。

 

2019721日の参議院選挙の公約で、自民党は憲法改正の条文イメージとして、a.自衛隊の明記 b.緊急事態対応 c.選挙区の合区解消・自治体の定義 d.教育充実の4項目を提示した。

安倍晋三総理大臣は、自分の任期中に「ともかくも憲法改正の実績」つくりに執念をもやして、なりふりかまわず「憲法改正」をめざす私心=私利私欲に我執しているようにみえる。

青年議員の時代に憲法改正をめざす同志と「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、「心を込めた保守による<革命>を提唱したい」などと書いた。

 自民党は、政権政党として自らが築いてきた戦後70年の日本国の基本構造を根本から<革命>したいのだ。

それに呼応する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」がある。自民党の憲法改正運動をあとおしするために、国家主義思想集団の「日本を守る国民会議」などを統合して、「日本会議」が結成された。

改憲運動を強力にあと押しするのが、「日本会議」を中心としたウヨク国家絶対主義者たちの民間諸団体である。その集会で「こんな憲法、破り捨てようじゃありませんか!」と叫ぶ。

 

それに対して、リベラル・サヨクの弱小野党は、改憲反対の護憲一点張りである。

護憲派は、たとえ米国軍人のGHQ司令官に「押しつけられた憲法」だとしても、日本国憲法の「人権尊重、主権在民、平和主義は文句なく素晴らしい!!」と称賛する。

国民それぞれは、政治に関心はなくとも、それぞれの立場で問題意識をもって立派な意見や見識や要望をもつ人はおおい。学者や評論家や専門家や現場実務者もそれぞれ様々な意見や批判や提案を発信する。

 

だが多くの国民の政治的表明と為政者である政治家や行政官僚との間には、大きな壁がある。社会➡政治➡国家の「➡:通路」が、きわめて貧弱だといわざるをえない。

情報が氾濫するネット社会と国家をむすぶ政治システムの民主制に、根本的な問題があることは、国内国外を問わず、すでに屋上に屋をかさねておおくの学者や識者たちが指摘している。

 

◆論点19.7 憲法改正にむかう準備

「国家最高の法規範」である憲法を定める権能は、「国家最高の叡智」でなければならないはずだ。憲法改正には、十分な準備が必要である。

政権与党とその支持者たちの価値観をもって、拙速にかつ強引に多数決で決めればよい、というものでもなかろう。

 

憲法改正とは、まさに政治「革命」なのだ。暴力革命ではなくて無血革命のためには、主権在民の民主主義の理念と現状のギャップの根本を改善・改革することが、まず憲法改正を論議する第一歩でなければならない。

 

1)新人類社会の到来 

ゲノム編集、生殖医療、AI:人工知能、IoT:物どうしのインターネット、ナノテク技術などの第4次産業革命により、人類社会は、主権国家の国境をこえて、グローバルな生存環境に劇的に変化しつつある。

科学技術基本法の改定では、ソサエティー5.0Society 5.0)が提唱されている。狩猟→農耕→工業→情報の4段階をへてきたつぎの5世代にあたる社会を、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させた新たな未来社会としてえがく。

AI:人工知能は、「人間ってナンだ?」という古来の哲学・思想に根本的な問い直しをせまっている。

 

しかし政治思想は、あいかわらず古代ギリシャのポリス思想から近代西洋の啓蒙思想をいまだに引きずっているようにみえる。

2016年、イギリス国民は国民投票によってEU離脱を選択し、国家主権の強化をめざす。2017年に誕生したアメリカ合衆国トランプ大統領は、明白に国益第一主義をかかげる。

日本のおおくの知識人と政治学者たちは、明治維新以降そしていまでも英米を「民主主義の先進文明国」としてあがめ、追従しているように見える。

 

いまやインターネットとスマホとビッグデータ解析などハード技術とソフト技術によって、統率者が不在または匿名のままの非組織的な一過性の社会的集団を形成するコミュニケーション環境が実現している。電子通貨は、国立中央銀行が支える法定通貨としての権力性の足元を溶解させる可能性または危険性をやどす。

海洋・気象・地殻・物質・生命を対象とする自然科学・技術は、超ミクロ顕微鏡から超マクロ望遠鏡によって、人類が世界を認識する時間軸と空間軸の認識粒度をかぎりなく「ゼロイチ」に分節極小化し、そこから重層多層化によって認識粒度を極大化させる時代となった。

グローバル社会の経済活動と生活基盤と社会常識は激変している。

 

学者や専門家たちが、学問の権威をふりかざしてきたこれまでの「言葉」や「概念」や「法文」や「知性」は、気まぐれでフェイクな現状追認の「現実主義」の名のもとで、似非論理の解釈・語用によって、踏みにじられ、無力な時代になったように思われる。

科学技術知性と人文社会科学知性と道義倫理知性とのぬきさしならぬ「人類の英知」の統合失調が、世界にひろがる反知性・反エリート・反既得権益層などの心情と言動を暴発させている。政府とメディアとSNSによる、民主主義の名のもとの「大衆迎合」と「大衆操作」が顕著な時代となったのではないか。

 

あらためて「個人―社会―国家―地球」、「個人主義―自由主義―資本主義」、「国民主権―民主主義―国家主義」、「世界―人類社会―自然環境」との関係性を根本から問いなおすべきエキサイティングな時代である、とわたしは思う。「中華思想」を国是とする中国の台頭に対抗するためにも。

根本とは、グローバルな新人類社会における【個人の人権尊重と【国家の主権尊重】との関係性である。

「人間ってナンだ? 社会ってナンだ? 国家ってナンだ?」という政治思想の根本問題の問いなおしこそが、憲法改正を必要とする根本的な立場でなければならないだろう、わたしは考える。

 

2)憲法改正にむかう準備の提案

憲法改正にむけて、在野の民間人を主体として、つぎの4つの仕組みを設置することを提案する。

合同世論調査機構 ~国民の「総意」の可視化

合同シンクタンク機構 ~現代の「賢人君子」集団

草の根人政学習塾 ~現代の「寺子屋」

賢哲公務員育成機関 ~現代の「昌平黌」

 

①合同世論調査機構 ~国民の「総意」の可視化

a.NHKおよび民放各社等が協議して、「合同世論調査機構」を設立する。

.各社の各種調査データを集約する「A:民意収集システム」と「民意データベース」を構築する。

c.国政(税金を原資とする公共事業)の実績データを要約する「B:国政実績開示システム」と「国政データベース」を構築する。

.それぞれの国民は、「A:民意収集システム」と「B:国政実績開示システム」にアクセスして自分の意見を表明できる。

.国民の政治への要求と評価は、ビッグデータとしてAI(人工知能)によって分析・分類され、分かりやすく可視化される。

f.国民は、世間には多様な意見があることを理解することと同時に、その中でみずからの政治的立ち位置を客観視して自らを「対自化」できる。

 

②合同シンクタンク機構 ~現代の「賢人君子」集団

a.各種各様の国内国外の政策提言シンクタンク・総合研究所等が協議して、「合同シンクタンク機構」を設立する。

b. 「合同シンクタンク機構」は、「民意データベース」と「国政データベース」から内政―外交―環境を網羅する多様な国民の要求と政策課題を抽出し、それに対応するそれぞれの研究成果と提言を集約して、「C:政策立案システム」と「政策代替案データベース」を構築する。

c.それぞれの国民は、「C:政策立案システム」にアクセス して自分の意見を表明できる。

d.多種多様な政策代替案とそれに対する賛否両論の多種多様な意見は、ビッグデータとしてAI(人工知能)によって分析・分類されて、分かりやすく可視化される。

e.衆議院と参議院の国政選挙における立候補者と政党の公約は、AI(人工知能)によって「政策代替案データベース」と対比され、それぞれの主義・主張と公約の特徴が分かりやすく可視化される。

f.それぞれの国民と政治家と立候補者は、多様な意見の中でみずからの意見の政治的立ち位置を客観視できる。

 

③草の根人政学習塾 ~現代の「寺子屋」

a. 「合同シンクタンク機構」は、日本全国の地域町内会・自治会と高等学校に向けて、人生と政治の関係を学習する超党派の「草の根人政学習塾」を開設することを、呼びかける。

b. 「合同シンクタンク機構」は、各政党にむけて、政党交付金(年間総額約350億円)の一定額を、「草の根人政学習塾」の運用資金として提供することを要請する。

c.「草の根人政学習塾」の目的は、「高校生などが自分の人生設計と政治家・公務員・司法関係者などの公職に従事する者との関係性を考える世代間交流」を基本とする。

d.長命社会を生きる老人世代は、生きがいのひとつの社会参加の選択肢として「草の根人政学習塾」に参加する。

.「草の根人政学習塾」の組織、学習内容、運営方法については、それぞれの町内会自治会地域コミュニティの自主判断とするが、「A:民意収集システム」と「B:国政実績開示システム」と「C:政策立案システム」へのアクセスと投稿は必須条件とする。

. 「草の根人政学習塾」に参加する学生や若者社会人は、自分の人生において目標とする生活空間と地域・ローカル/国家・ナショナル/世界・グローバルの広がりを学習することによって、「人間ってナンだ? 社会ってナンだ? 国家ってナンだ?」という問題にたいして、自分の政治的見識をふかめることができる。

. 「合同シンクタンク機構」は、「草の根人政学習塾」の活動状況を適宜調査し、必要な助言をほどこす。

 

④賢哲公務員育成機関 ~現代の「昌平黌」

a.「合同シンクタンク機構」は、憲法改正にむけて「賢哲公務員育成機関」を設立する。

b. 「賢哲公務員育成機関」は、全国の「草の根人政学習塾」の卒業生と指導者および一般国民の中から、憲法改正に関心がある者を選抜して「賢哲公務員」志望者を募集する。

c.「賢哲公務員育成機関」は、学者や評論家ではなく実務能力をもった政治家の理想像として、「賢哲公務員」を育成するために、「D:賢哲公務員風教システム」と「賢哲公務員候補者データベース」と「憲法改正案データベース」を構築する。

d.「賢哲公務員」志望者は、それぞれの専門知識と経験をふまえて、自らの主張を「政策代替案データベース」に反映させるとともに、憲法改正の条文案を「憲法改正案データベース」に開示する。

. 「賢哲公務員」志望者は、「A:民意収集システム」と「B:国政実績開示システム」と「C:政策立案システム」とSNSメディア等を活用して、ひろく有権者や政党関係者などから意見と支持を集めることに努力する。

. 「賢哲公務員」志望者は、超党派の無所属として国政選挙に立候補する。

.有権者の選挙民は、 「政策代替案データベース」と「賢哲公務員候補者データベース」と「憲法改正案データベース」を参照して、「政策選択」と「人物選択」と「憲法改正選択」を組み合わせて投票先の判断をおこなう。

.国民はだれでも、「憲法改正案データベース」にアクセスして自分の意見と対案を登録できる。

i.「賢哲公務員育成機関」は、AI(人工知能)によって「憲法改正案データベース」を整理し、複数の憲法改正条文案を、衆議院と参議院の憲法審査会が設営している「憲法のひろば」に投稿する。

. 「賢哲公務員育成機関」は、衆参憲法審査会における憲法改正草案の作成審議状況を監視して、その状況をマスコミやネットに拡散する。

 

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