11.遺訓第9条 天地自然をベースとする「道義国家」の未来像 2018年11月3日
■遺訓第9条
忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、万世に亘り宇宙にわたり易ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。
□第9条の解釈
忠孝仁愛とは、「主君に忠義、親に孝行、人をいつくしみ、思いやる」という徳目である。
この徳目は、老荘・儒教・禅、神道・国学から法家・洋学までも習俗混交した西郷の思想営為において、「敬天愛人」に深化および進化し、近代主権国家の限界をのりこえる「道義国家」の基盤として現代化される。
教化とは、遺訓第8条の「風教を張る」とおなじ意味で「万民の上に位する」者に忠孝仁愛の徳を教え導き、公平無私のりっぱな公務員を育成することである。
政事の大本とは、公務員の仕事・事業百般・文武農の根本である。その根本を忠孝仁愛教化の「道」とする。その道を遺訓第1条の「大政を為す天道」とよぶ。
公務員は、自分の仕事に勤めるとき、私心をはさまず、天道(天の道理、道義)を踏みはずしてはならない。
天道は、古今東西の人類社会に不変かつ要(かなめ、最も大切な事柄)の道であり、天地自然の物だから、キリスト教が支配する西洋諸国といえども同じである。
*
しかし西洋の帝国主義国家は、アジア諸国を植民地にしている。忠孝仁愛教化の道からおおいにはずれており野蛮ではないのか。(遺訓第11条)
では我が国の明治政府の政治は、どうか。
その政治は、「廟堂に立ちて大政を為す天道を行うもの」(遺訓第1条)といえるのか。
文明開化をすすめる前提となる「我が国の本体」を据えているか。日本がめざす近代国家の「国体」が、あやふやのまま西洋に追随する「西洋かぶれ」ではないか。
遺訓第9条は、道義心を欠落させた日本と西洋にたいする西郷の満腔の不平不満の発露であり、西郷が理想とする「道義国家」がそれぞれの国境を横断しながら共存するグローバル世界像の宣言であるとわたしは解釈する。
「道義国家」を実現するための万古不変の自然の物である「道」の内実は、つぎの遺訓各条で言及される。
・天道―第1条
・天地自然の道―第21条、24条
・正道―第1条、7条、17条、18条
・道―第10条、11条、16条、21条、24条、28条、29条、31条、32条、33条
民主主義の現代社会で「忠孝仁愛」といえば、反射的に封建制の上下関係・主従関係という否定的道徳イメージがうかぶ。
西郷は、封建主義者なのであろうか。
◆論点9.1 天地自然の物 ~生命の自律性、幸福の追及、社会生活、破邪顕正
生命の自律運動は、生理にもとづく天地自然の物である。
(1)生命―身心頭
人間の生命は、身体―心情―頭脳の生理的法則にしたがって個人を生かす。
(2)自由―人権
個人の自律性、生命の衝動、生理的欲求、自由、人権は自然の物である。
(3)人生―少壮老
個人は、誕生➡少年期➡壮年期➡老年期➡死去の一生において人格を形成する。
(4)家族―親子関係
親が子を育てる「親愛」と子の親への「孝行」の心情、「仁愛」は自然の物である。
(5)個人―社会関係
個人は、少壮老の世代において社会的諸関係の集団に帰属して生活をいとなむ。
(6)幸福追求―自己実現
個人が生命の安全と社会生活の幸福を追求することは、自然の物である。
(7)社会秩序―破邪顕正
社会集団は、破邪顕正の道義によって敵対関係を友好関係に教化する。
(8)社会発展―法治国家
社会生活の高度化・複雑化は、社会を統治する政治機構・法治国家を形成する。
(9)政治原理―敬天愛人
政治は、自然の「仁愛」を実現する実定法にもとづき国民の幸福追求に奉仕する。
*国家は天地自然の物ではなく、社会生活が要求する人為的な機構である。
◆論点9.2 「忠孝仁愛教化の道は政事の大本」の現代的解釈
1)「君臣民」の封建体制の近代化 ~憲法―公務員―国民
・君は、立憲制の憲法に政治的権威の地位をゆずる。
・臣は、政治権力を行使して国民に奉仕する公務員である。
・民は、主権在民の一般国民、少壮老の一生を生きる社会生活者である。
2)「忠孝仁愛」の現代的解釈
・孝行は、親子関係の情愛であり、封建制に関係なく現代でも通用する。
・仁愛は、社会生活の人間関係として、封建制に関係なく現代でも通用する。
・忠義は、憲法および国民に忠誠を尽くす公務員の義務(憲法第99条)である。
3)「教化の道」の現代的解釈 ~ニヒリズム
・「教化」という道徳教育は、主権在民・民主主義の政治思想から排除されている。
・個人の自由を自制する社会的道義心を「教化」する思想基盤を喪失している。
・「国民の奉仕者」である公務員を「教化」する仕組みが存在しない。
4)「政事の大本」の日本国憲法の問題点 ~道義的民主国家の憲法改正
・個人の人権尊重と社会生活の相互扶助、仁愛の関係が明確ではない。
・主権在民を具体化する選挙制度と議会制度が、ネット社会に適応していない。
・主権国家どうしの国益紛争に対応する軍事機能の大義が明確でない。
◆論点9.3 西郷思想がめざす「道義国家」政治システムの概要
「個人―社会―国家―世界―自然」を枠組みとするグローバル社会において、いまや近代の主権国家思想の限界が、はっきりしてきた。
・個人(私) 個人の自由と人権尊重、少数の自立市民―大多数の孤立庶民
・社会(共) 生活と仕事の分離、資本主義・市場競争、相互扶助・生活共同体の崩壊
・国家(公) 行政権力の肥大化、国益追及、軍事大国の世界覇権競争、核兵器
・自然(天) 地球環境の持続可能性への危険、大規模自然災害
西郷の「道義国家」思想は、現代政治の限界をのりこえて「天地自然の物」への畏敬をベースとする人類社会の未来像である。そのシステムを次のように素描する。
1.「道義国家」政治システム目的
現在と未来の国民が、安全で豊かな社会生活を持続する道義的民主政治をおこなう。
2.国民の構成
「道義国家」に関与する日本国民を三つの資格者に分類する。
A: 徳治権威者~大政をおこなう者
廟堂―大政―天道―賢哲無私―道理―敬天愛人―破邪顕正基準―人格教化
B: 自治生活者~社会生活をおくる者
社会―生活―人道―自由私人―功利―敬天愛隣―顕正の実行 -幸福追求
C: 法治権力者~国家権力を行使する者
政府―国政―公道―国家公人―合理―敬天愛民―破邪の実行 ―社会秩序
3. 「道義国家」政治システムの構成
「道義国家」政治システムをグローバル、ローカル、ナショナルの三層構造とする。
G:グローバル大政システム ~徳治権威者、敬天愛人
天道を踏み、社会生活の破邪顕正の基準を国民と国政に提示する。
主権在民にもとづく民意の収集、公務員教育、憲法草案作成をおこなう。
L:ローカル自治システム ~社会生活者、敬天愛隣
人道を踏み、相互扶助にもとづく社会秩序の正義を実現する。
家族、地域、職場など多種多様な社会集団を自治・自決によって維持する。
N:ナショナル国政システム ~法治権力者、敬天愛民
公道を踏み、法律にもとづき社会の利害を仲裁し、破邪の権力を行使する。
社会生活から国政への要求を「立法―行政―司法―地球警察」によって実現する。
*国家は、国土と国民の安全を侵害する「邪悪」を排除する。
a.自然災害の予防、災害復興、救済 ~治山治水、防災、防疫、保健衛生など
b.外敵の侵略の抑止・防衛、妨害・攻撃への反撃・除去 ~軍事機能、地球警察
c.犯罪、私利私欲の「邪悪」な人物と集団の取り締まりと刑罰 ~治安警察、裁判
d.交通、通信、流通、製造などの危険と混乱の予防と対処 ~社会基盤の規制
◆論点9.4 「道義国家」を実現する大政システム概要
大政システムは、南洲翁遺訓第1条の「廟堂に立ちて大政を為す天道を行うもの」の具体化である。
そのシステムを次のように素描する。
1. 目的
主権在民の民主主義を真に実現する憲法草案作成と公務員教育をおこなう。
2. 組織
国政に君臨する「廟堂」機関を設立して大政システムを運営する。
3. 機能
大政システムを5つのサブシステムで構成する。
1)民意収集システム
2)公務員風教システム
3)賢哲公務員選挙システム
4)憲法草案作成システム
5)国政実績開示システム
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4.民意収集システム
a.国政への意見を国内にかぎらずひろく世界のメディア、ネットから収集・分析する。
b.人工知能・AIを活用して玉石混交のビッグデータを取捨分別して整序する。
c.民意データベースを随時更新して国内外に開示する。
5.公務員風教システム
a.民意を教材にして、公務員志望者に道義教育と公務員資格試験をおこなう
b.賢哲公務員として、憲法公務員と国政公務員(国会議員等)を育成する。
c.賢哲公務員候補者データベースを随時更新して国内外に開示する。
6.賢哲公務員選挙システム
a.公務員候補者から賢哲公務員を選挙する。~選挙制度の抜本的な再設計
憲法公務員は、憲法改正草案を作成する権限を有する。
国政公務員は、国政の立法議員および議会省庁大臣の資格者となる。
b.賢哲公務員が従事した仕事の成果情報を随時収集する。
c.賢哲公務員実績データベースを国内内外に開示する。
7.憲法改正草案作成システム
a.憲法公務員は、民意に準拠して憲法改正草案骨子を作成する。
b.憲法改正草案骨子に対する意見を国内外からひろく収集・分析する。
c.憲法改正草案骨子を練磨して、憲法改正草案を国政議会に上程する。
8.国政実績開示システム
a.国政の実績データを国政システムから随時収集する。
b.AIを活用して民意の実現状況の視点から国政実績データを分析評価する。
c.民意データベースと連動して、国政実績データを国内外に開示する。
◆論点9.5 忠孝仁愛教化の道 ~封建制道徳の問題点
西郷思想の「敬天愛人」の基盤をなす「忠孝仁愛」の徳目を現代の視点からどのように解釈するか。
1)仁愛と非情 ~自然の物
仁愛は、親愛・友愛・信愛、慈愛・恩愛・敬愛、博愛などが意味する他者に対する気遣い、気持ち、同情心、おもいやりの人情、他者を人間として認める相互扶助関係である。
仁愛の対極は、自分の利益や快楽の道具・手段として他者を使役する非人情、自分中心の私利私欲、他者を奴隷化する極端な自己主張、自己保存欲、不寛容、憎悪、劣等感、猜疑心、嫉妬、被害者意識などの劣等な品性である。
仁愛と非情は、人間の生理に内在する潜在性である。個人が生きる社会的生活条件によって、性善または性悪が顕在化する。社会生活における破邪顕正の基準が必要となる。
2)親に孝行 ~自然の物
親が子を養育する「親愛」は、子から親への「孝行」心をひきおこす。親の仁愛は子の孝行を期待するわけではない。子は、義務感から親孝行するわけではない。
親から子への親愛・養育と子から親への信愛・感謝という対称性は、動物にもみられる自然の物といえる。あえて「道徳」などという必要はなかろう。
「仁愛・孝行」は、ふつうの親子関係では自然に生成される物であり、それが社会的人間関係の「仁愛」に波及すれば、社会生活の安全平和と豊かさの基本となるのは自然だろう。
だが、親子関係の破綻や家庭内暴力が発生することもある。それは、親の責任であって子どもにはどうすることもできない、封建制とは関係ない社会問題である。
3)主君に忠義 ~封建制をささえる道徳
忠義は、家臣・臣下が君公・主君へ臣従して忠誠、忠節を尽くすことを義務とみなす儒教道徳である。この主従関係が、封建制を維持するための根本である。
ここで問題とすべきは、忠義と仁愛の関係である。
封建制は、「君―臣―民」の三層によって領地・領民を統治する政治制度である。
儒教道徳は、この三層を公私関係の「公(君臣・統治者)―私(民・被治者)」の二層に変換し、さらに国家の「公―私」関係を「親-子」の家族関係にかさねる。
国家を統治する「公私」の政治的関係が、家族を維持する「親子」の心情的関係に機能的に等価とされる。親子の心情関係を君臣の制度関係に等置する。
この思想構造が、封建制をささえる儒教道徳のポイントである。その思想は、忠義と仁愛をつぎのように連結する。
a.君は、民に恩情・仁愛をほどこす。==>聖人君子の徳治につながる一君万民思想。
b.民は、君の恩情に感謝して忠誠をちかう。==>愛国心につながる家族思想。
c.臣は、君に仕えて、忠義によって忠勤する。==>滅私奉公につながる従順思想。
封建制は、世襲する身分制によって維持される。社会秩序の基礎を血縁関係におく。そこから祖先崇拝がうまれる。門地の貴賤を人間の尊卑の価値基準とする。
儒教道徳は、万民の上に位して政治をおこなう身分に公徳(厚徳・高徳)を求める。西洋においては、高い身分に伴う義務;ノーブル・オブリジェによって貴族の地位を正当化した。
下々の生活の安寧をおびやかす事態にあたって、「高い身分」の者が我が身命を投げ捨てるのは、古今東西の為政者の覚悟である。その覚悟が、為政者の倫理道徳・道義心の「教化の道」であり、封建体制の君主政治を正当化する「徳治」思想である。
4)教化の道の必要性 ~君臣の私利私欲のための封建制道徳の歴史
封建制の「君―臣―民」の三層構造は、人間の身分・役割・権限・責任を「上―中―下」に序列化する。
「君―臣―民」を抽象化すれば、現代の企業や団体の「トップーミドルーボトム」、「社長―中間管理職―平社員」という組織の権力構造と同じである。
封建制にかぎらず人間の上下関係・主従関係は、対等ならざる非対称の相互依存関係となる。この非対称性は、人間関係の強弱・優劣・尊卑・高低の価値観をうみだす。
上は下に命令をくだし、下を支配して生殺与奪の権力を誇示する者がでてくる。下々にむかって威張りちらす者が出てくる。人民に重税を課し人民を道具として使役する冷酷非道な君主が出てくる。
下の者は、上にむかって迎合、へつらい、忖度する佞臣・奸臣・ゴマスリがでてくる。
主人に仕える奴隷は、主人を尊敬すらして従順に勤勉する者がおおい。中には面従服背に忍従する者もいる。あからさまに抵抗・逃亡する者は少数である。
かくして権力と権威を一体化して官尊民卑、上位下達の思想がうみだされる。
これらの心情・動作も、封建制には関係ない「万世に亘り宇宙にわたり易ふ可からざる天地自然の物」といえるだろう。
だがこういう上下構造の政治は、忠義と仁愛の「徳治」といえるのか。
西郷は、「人民の生活を安全で豊かにする」ための「教化の道」、忠臣教育の必要性を強く主張する。その理想像が、「敬天愛人」を実践する道義国家である。
◆論点9.6 封建制から法治制へ ~西洋思想と近代国家の誕生
古今東西の歴史において、地球上の各地に、領主、酋長、族長、大王、王様、君主、皇帝、大統領、元首、首相、国家主席、独裁者、天皇などと称される人物が存在してきた。この領土と領民を統治する権力保持者を「君主」とよぶ。
「君主」は、そこに住む臣民の人心掌握に知恵をしぼる。君側の賢者や御用学者に命じて、自らの政治権力の正当性を人民にしらしめるための物語を創造させる。
神話、宗教、教学、神学、倫理学、哲学、法学は、男女、夫婦、親子、兄弟姉妹、同胞友人、師弟、長幼などの人間関係に自然にうまれる心情の源泉を探求し、人智をこえた天上の「神」を創造する。
聖なる天上の神は、地上の善人に天恵・仁愛をほどこす。悪人には天罰・天誅をほどこす。
「神―人間」という上下関係の倫理道徳を地上の勧善懲悪、破邪顕正の源泉とする。天罰の手段として武力を正当化する。文武両道である。
その論理は、神から人間への仁愛を、恩情―忠誠、救済―感謝、権威―敬服、権力―順応という上下関係の心情に接続して、「神―(君*臣)―民」の「権威―権力」関係に拡張する。
ここに世界各地において、天を権威として世俗の権力を正当化する政治道徳が発明された。道徳を政治的に利用して領民を精神面で押さえつけ、世襲の身分にもとづく封建制を正当化する祭政一致、徳治、自然世から法世へ転換する政治思想の捏造である。
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中世西欧社会の教会と王侯貴族が結託した私利私欲の封建制度の絶対主義国家は、イギリスとフランスを先陣とする市民革命によって倒されて法治国家体制に代わった。
王権神授説から天賦人権説への思想革命である。国家は、国王の所有物ではなく、国民のための国家へと政治思想が逆転した。
平伏する個人から自由人への解放である。国民が政治の主権者となる民主政治である。祭政一致の徳治・世襲制から祭政分離の法治・立憲制への主権国家形成の近代化である。
個人の自由、人権思想、自然法、万民法、社会契約、共通権力、一般意志、国民国家、代表選挙、議会制度、参政権、抵抗権、などをキーワードとする近代社会の政治思想である。
天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。
封建制の世襲・身分は、門地の貴賤によって人間を上下にわけたが、人間は生まれながらにして同等の生理的欲求をもつ生き物なのだ。
近代社会の価値基準は、社会と国家を維持するための合理的能力の高低・広狭・強弱が前面にでてくる。神話、形而上学をベースとする倫理道徳・道理性の心情よりも科学的、客観的な合理性、技術的理性を優先する。
功利を追求する合理精神は、「神の見えざる手」に依存するグローバル資本主義を人類社会の基軸にすえる。どこまでもかぎりなく経済成長と貨幣価値を追い求める。
立憲制法治国家は、「親子」の心情的関係を「公私」の制度的関係から排除する。道徳を公的政治から排除して私的信条の宗教領域とする。道理よりも功利・合理が優先される。
この問題意識において、法治・順法精神の根拠であるべき道理・道義心を強調する西郷思想の現代的意義が問いなおされる。
◆論点9.7 幕藩体制から立憲天皇制へ ~日本流の近代化
明治維新は、イギリスやフランス流の市民革命ではなかった。
日本の政治思想は、縄文社会を源流とする古代神道に中国渡来の仏教と儒教・法家・老荘を習合させた聖徳太子の天皇制創設にはじまる。
日本の知識人は、江戸時代まで一貫して中国の影響をつよく受けてきた。民百姓の庶民、町民、農民、職人、商人たちは、寺子屋で読み書き算盤を習いながら神仏儒が習合した「お天道さまがみている」ことを意識する先祖崇拝にもとづく道徳心を身体にしみこませた。
幕末において唐様一辺倒の朱子学批判がおこり、和様を重視する国学が登場した。
明治維新の「王政復古の大号令」は、封建制の幕藩体制をささえた「忠孝仁愛」の唐様の儒教道徳を、日本流の和様、「やまとこころ」に基礎づけるための皇国史観を必要とした。
本居宣長にはじまる国学は、水戸派国学や吉田松陰などの「忠孝一本」、「忠孝一致」の説でもって尊王志士を教化した。
近代国家の統治―被治の権力関係を隠蔽し、天皇を親とする「一大家族国家」の「一君万民」、「君民共治」、「忠孝仁愛なる同胞」、「人類皆兄弟」、「和をもって貴しと為す」政治思想、皇国史観である。
「親子」の心情的関係を「公私」の政治的・制度関係に拡張する。封建制の延長である。
それは、上下の権力関係を中和し権力をささえる暴力機構(警察と軍隊)と刑罰機能を隠蔽する役割をはたす。社会と国家を一体化する全体主義国家の政治思想である。
王政復古と文明開化を連結する皇国史観は、日本流の立憲君主制の明治憲法に結実した。天皇の権威を征夷大将軍の権力と一体化させて、近代天皇制の「天皇教」を国教とする祭政一致体制を温存したのである。
この日本流近代化こそが、大日本帝国の世界史レベルでの特徴にほかならない。
そして大日本帝国は崩壊した。主権在民・民主主義の戦後憲法が政治的権威の頂点になった。
日本国憲法第15条は、「すべて公務員は、全体の奉仕者である」と定める。
西郷遺訓第9条の「公務員を教化する道」をあらためて問い直すべきではないか。