12.遺訓第10条 人智の開発 ~公務員の道義心教育   20181120

 

■遺訓第10

人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。国に尽し家に勤むるの道明かならば、百般の事業は従て進歩す可し。或は耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの器械を造立し、人の耳目を囁動すれども、何故電信鉄道の無くて叶はぬぞ欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず、猥りに外国の盛大を羨み、利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物に至る迄、一一外国を仰ぎ、奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代限りの外有る間敷也。

 

□遺訓第10条の解釈 ~人智の開発  

遺訓第8条と9条につづいて「人智の開発」と「耳目の開発」を対置する。

・人智の開発 ~道義国家、精神文化、道理、敬天愛人

愛国忠孝の心、国に尽し家に勤むるの道、忠孝仁愛教化、風教を張る

・耳目の開発 ~文明開化、物質文明、功利、科学技術

電信、鉄道、蒸気器械、広く各国の制度を採り開明に進む

明治政府は、文明開化の旗のもと、国家資本主義の国営事業として、西洋文物を追いかけ、殖産興業・富国強兵を国策とする。

西郷は、その官営事業をささえる根本精神を問題とする。

 

人民の生活にとって、電信、鉄道、蒸気器械を製造するその目的、価値、必要性は何であるのか。『何故無くて叶はぬ欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注ぎ利害得失を論じなければならない。

 

世間の耳目をおどろかす」だけの物質文明の追及は、「外国の盛大を羨み、家屋の構造より玩弄物に至る迄、外国を仰ぐ単なる西洋かぶれの物まねにすぎない。「奢侈の風、財用の浪費、人心浮薄」を増長するだけの物質文明の追及は、結局は国をほろぼす元凶となるのだ。

西郷にとって、明治政府がめざす文明開化はたんなる西洋ものまねの欧化主義であり、資本主義が帝国主義に転化した道義なき功利追及主義でしかない。

西郷がめざす「文明開化」は、物質文明よりも精神文化を重視する「道義国家」の建設である。

 

遺訓第10条の「人智の開発」とは、精神的豊かさをめざす文化風教の政事・大政である。「耳目の開発」とは、物質的豊かさをめざす文明開化の政事・国政である。

国民の生活を安全で豊かにする政事百般の事業の根幹は、万民の上に位する公務員(政治家、官僚、軍人など)にたいして、国に尽し家に勤むる道を教化すること、愛国忠孝の心を涵養すること、敬天愛人の思想を教育することである。

愛国とは、「愛国民」であり、公務員が国民の奉仕者として国民を愛することである。

 

人間の幸福はパンのみにあらず。

社会生活における身体の安全と精神の安心状態、仁愛の相互扶助こそが、幸福をもたらす人間関係の根本であり、天地自然の道理である。

文明開化の事業は、天地自然を畏敬する「敬天愛人」を基盤としなければならない。

「敬天愛人」思想をもって西欧列強に対峙すること、その精神文化を根幹にして物質文明の枝葉を繁栄すること、このことが「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふもの」である。

 

この大政電信、鉄道、蒸気機関を開発する殖産興業・富国強兵の国政を統制するものでなければならない。

●大政―敬天愛人国政―敬天愛民自治―敬天愛隣

大政―人智の開発 精神文化―道義・精神的価値を公務員に風教するー徳治

国政―耳目の開発 物質文明―功利・物質的価値を国民に提供するー法治

自治―生活の開発 社会慣習―人情・社会的価値を自分たちで維持するー自決

 

◆論点10.1 明治天皇の教育勅語と西郷思想との関係

 明治天皇は、1890年(明治23年)1030日、「朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む」という教育勅語を発布した。

天皇が「切に望む道」は、1945年(昭和20年)の敗戦にいたるまで、大日本帝国のもとで生きる日本国民の精神文化を統制する倫理道徳であった。

その「道」は、西郷思想の「廟堂に立ちて大政を為す天道」とおなじなのか、どこが根本的にちがうのか。

 

□教育勅語 文部省訳(文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)

朕が思うに、(・・・略・・・)我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

(・・・略・・・)かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、(・・・略・・・)古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。

朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

 

□教育勅語の12の徳目』

➀父母ニ孝 ②兄弟ニ友 ③夫婦相和 ③朋友相信 ④恭儉己持 ⑤博愛衆及

⑥學修業習 ⑦智能啓發 ⑧德器成就 ⑨公益世務 ⑩國憲國法重遵 ⑪義勇公奉

⑫以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 

陸海軍軍人に賜はりたる敕諭 ~1882年(明治15年)

軍人の徳目: 忠節 ②礼儀 ③武勇 ④信義 ⑤質素

 「下級の者が上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ

 

□新渡戸稲造の「武士道」の基本原理

義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、清貧、克己、寡黙、切腹、大和魂など 

 

□儒教の徳目 ~五輪五常 

五倫: 親愛、役割、序列、信頼、忠誠

  父子の親 ②夫婦の別 ③長幼の序 ④朋友の信 ⑤君臣の義

 五常: 仁 ②義 ③礼 ④智 ⑤信   

 

□官吏服務規程 ~天皇の官吏の服務義務を定めた勅令、1887明治20)年

1条「凡ソ官吏ハ天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主トシ法律命令ニ従ヒ各其職務ヲスヘシ」

・天皇は統治権総攬者、官吏は天皇の使用人であって天皇へ忠誠を尽くす者

 

教育勅語は、天皇が示す道を「古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である」とする。

西郷の遺訓第9条は、「忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、万世に亘り宇宙にわたり易ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し」とする。

どちらも日本だけでなく万国に通じる「普遍性がある」と主張しているように見える。

西郷思想の忠孝仁愛教化の道」は、教育勅語の「朕に対して忠良な臣民を教育する道」とおなじなのだろうか。

 

◆論点10.2 戦後憲法は教育勅語の「普遍性」を否定した

1946年(昭和21年)の元日、昭和天皇は新年にあたり「朕は国民と心をひとつにして」戦後復興にとりくむ旨の証書を発布した。これは「天皇の人間宣言、現人神の否定宣言」として解釈されている。

連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)は、教育勅語を神聖視することと朗読を禁止した。

1948年(昭和23年) 6月、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」が採択された。

・民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。

・詔勅(教育勅語、軍人勅諭の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。

・われらは、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。

・われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。

・その結果として、教育勅語、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
・われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
 

◆論点10.3 国家主義者による「教育勅語」の評価

戦後憲法は、教育勅語の「普遍性」を否定した。

ところが政権与党である自民党は、憲法改正を党是とし「教育勅語」を全面否定するわけではない。201212月の衆議院議員選挙において、自民党の政権公約案のなかにつぎの文言がある。

・「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」教科書になるように教科書検定制度を見直す。

・規範意識や社会のルール、マナーなどを学ぶ道徳教育や消費者教育などの推進を図るため、高校で新科目「公共」を設置する。

 

 2017年、あらためて教育勅語が話題になる出来事がおこった。

大阪市の幼稚園で、園児たちに教育勅語や五箇条のご誓文を朗読させている姿をみて、安倍首相夫人が「すばらしい」と賛辞をおくる映像がテレビに流されたのだ。

2017331日、安倍内閣は「教育勅語を憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」という答弁書を閣議決定した。

2018年、安倍内閣の文部大臣が教育勅語をアレンジした形で、今の道徳などに使える分野があり、普遍性を持っている部分があると発言した。

元防衛大臣は、「教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきであること、そして親孝行ですとか、友達を大切にするとか、そういう核の部分、そこは今も大切なものとして維持すべき」という信念をもっている。「そうだ、そうだ」と同調する自民党議員、ウヨク・保守主義・国家主義の国民はおおい。

 

主権在君並びに神話的国体観、わが国家及びわが民族を中心とする教育を復権したいのだろうか。

その人たちは、日本国憲法や教育基本法はアメリカ占領軍のマッカーサ―に押しつけられたものだといって、気に食わない。憲法改正と教育基本法の改正をつよく主張する。

日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念に反対する。

 

しかし自民党政権の戦後政治は、日本国内に治外法権の米軍基地を容認し、アメリカ追随外交一辺倒であり、アメリカ経済につよく依存し、アメリカ流文化に迎合している。

だから戦後70年の現在でも「民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ない状況なのではないか。

大政と国政を分離して、「人智の開発」―道義・精神的価値と耳目の開発」―功利・物質的価値を対置する西郷思想からみれば、戦後の民主主義国家の政治思想には、どこか根本的な欠陥があるのではないか。

 

◆論点10.4 天皇制明治国家は「美しい日本」の伝統破壊であった

「教育勅語」の精神を評価するウヨク・国家主義者たちは、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する道徳教育」を主張する。

朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある」という天皇の発言を、「歴史的事実」として認めるのだろうか。神がかりの宗教的信仰心なのだろうか。

明治天皇の教育勅語は、日本列島社会の歴史的事実に即しているといえるか。

 

日本列島社会は、稲作の瑞穂の国としてはじまったのではなく、狩猟採集漁労経済の縄文文化にはじまったのだ。

日本列島住民が蓄積してきた「伝統と文化」は、「我が国と郷土を愛する道徳」といえるものではない。郷土を愛する心情は、自然なものであり、「道徳」といえるものではない。

日本列島住民の精神文化は、縄文人のアニミズムアや八百万の神々信仰、古代神道を基層として外来思想の仏教・儒教・老荘を習合して形成されてきたのが歴史的事実である。

 

奈良時代から鎌倉時代にかけては、鎮護国家の仏教文化の花がひらいた。聖徳太子、最澄、空海、法然、親鸞、道元、日蓮の教えが、支配者から庶民までひろがった。

江戸時代には、士農工商の身分制を認めたうえで、藩校―私塾―寺子屋において、それぞれの身分に応じた精神文化・生活規範・道義・精神的価値の教育がなされた。

林羅山、中江藤樹、伊藤仁斎、荻生徂徠、石田梅岩、安藤昌益、二宮尊徳、佐久間象山、本居宣長、吉田松陰などの多彩な教えである。

 

日本列島に生きる下々の生活をささえた伝統的な「神仏儒」習合の道義心は、明治政府の神仏分離、廃仏毀釈、鎮守の森(神社)の破壊指令により抹殺された。それに代わって天皇教を強制する国家神道を祀り上げたのであった。

2千年以上にわたって日本風土に育まれてきた「神仏儒」の習合精神は、前近代的な封建制の遺骸として排斥された。西洋文物を崇拝する洋学派の和魂洋才、脱亜入欧、欧化思想は、天皇教の国家神道、皇国史観と奇妙に共存した。

大日本帝国の「天皇―お上―下々」の統治体制において、西郷思想の「人智の開発」は失敗したといわざるをえない。

 

王政復古と文明開化の共存こそが、日本人の知性を閉塞させた政治思想の矛盾であり、「武力なき尊王攘夷から武装する天皇制へ」いたる道義心なき軍国主義国家は、「美しい日本」の国民生活に破綻をもたらしたのである。

日本史年表(吉川弘文館)から外交・事変・戦争の事象を列挙する。

1870(明治3)年~

岩倉使節団欧米派遣、台湾出兵、ロシアと千島・樺太交換、江華島事件、壬午・甲申事変

1894(明治27)年~

 日清戦争(下関条約)、露仏独の三国干渉、北清事変(義和団事件出兵)、日英同盟、日露戦争

1910(明治43)年~

韓国併合、関税自主権、第一次世界大戦に参加、対支21カ条の要求、シベリア出兵、尼港事件

1920(大正9)年~

国際連盟常任理事国、中国の排日運動の激化、山東出兵、済南事件、張作霖爆死事件

1930(昭和5)年~

 満州事変、上海事件、満州国建国、国際連盟脱退、日中戦争(盧溝橋事件)、日独伊軍事同盟、

真珠湾攻撃、米英宣戦布告(太平洋戦争)、・・・・・、広島・長崎に原爆、ポツダム宣言受諾

 

◆論点10.5 西郷思想と天皇制国家思想との根本的なちがい 

明治維新がかかげた「王政復古」は、昭和維新の軍人が唱道した「天皇が天下を治める道は皇道である。皇道はまことの道、正大公共の道である。その道は万国共通の真理の道である。天皇が統治する日本こそが、万邦無比の道義国家である」という天皇教創設に至った。

明治維新がかかげた「文明開化」は、昭和維新の「欧米流の物質主義、個人主義、自由主義、利己主義、営利主義がはびこり、資本家は打算と功利、政治家は党利党略の利権汚職の競争、軍人幕僚は立身出世の堕落競争、おおくの国民は安逸と享楽にあけくれ、国家の大局を忘れるという軽薄な風潮を現出している」という軍人による時局糾弾に至った。

 

この時局糾弾の状況は、西郷のつぎの予言どうりではないか。

国体は衰頽し、風教は萎靡して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。

~財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代限りの外有る間敷也。

 

ところが西郷思想の「廟堂に立ちて大政を為す天道」に基づく敬天愛人の道義国家は、昭和維新の「八紘を一宇とする肇国の大精神の皇道」に基づく万邦無比の道義国家とは、根本的にちがう。

 

西郷思想の「忠孝仁愛教化の道、万世に亘り宇宙にわたり易ふ可からざるの要道、天地自然の物、西洋と雖も決して別無し」の道は、昭和維新の「皇道はまことの道、正大公共の道、万国共通の真理の道とは、根本的にちがう。

 

西郷思想の忠孝仁愛教化の道」は、教育勅語の「朕に対して忠良な臣民を教育する道」とは、根本的にちがう。

 

西郷思想の「愛国忠孝の心、国に尽し家に勤むるの道」は、教育勅語の「一身を捧げて皇室国家の為につくせとは、根本的にちがう。

何が、根本的にちがうのか。

 

それは、自治に基づく社会生活法治に基づく国家政治を区別する思想である。

その思想は、国民と公務員を明確に分離して、公務員にたいして文を興す」、「人智の開発」、「我が国の本体を据え、風教を張る」ことを政治の根幹とする西郷遺訓第1条のつぎの論点に集約される。

◇論点1.1 大政と国政の分離<=Ⅹ=>大政と国政を一体化した国家主義

◇論点1.2 廟堂と政府の分離<=Ⅹ=>廟堂と政府を一体化した全体主義

◇論点1.3 天道と公道の区別<=Ⅹ=>天道ではなく皇道を国是とした民族主義

◇論点1.4 権威と権力の分離<=X=>権威と権力を一体化した軍国主義

◇論点1.5 徳ある者に官職、功労ある者に褒賞の分離<=X=>立身出世主義

 

大政と国政を分離して、「人智の開発」―道義・精神的価値と耳目の開発」―功利・物質的価値を対置する西郷思想からみれば、大政と国政を分離しない戦後憲法のもとの主権在民、民主主義、経済至上主義、アメリカ一辺倒の外交、平和憲法の形骸化なども、政治思想と政治システムに根本的な欠陥があるとわたしは思う。

 

◆論点10.7グローバル社会の道義的民主主義国家にむけて ~大政と国政の分離

南洲翁遺訓は、万民の上に位する公務員にたいする訓令である。一般国民むけに倫理道徳を説教するものではない。

「人智を開発する、愛国忠孝の心を開く、国に尽し家に勤むるの道を明かにする」ことは、国民にむかって愛国忠孝、滅私奉公を説くものではなく、公務員にたいして「愛国民のために、私心をはさまず、滅私奉公」の道義心を要求するものである。

この意味で南洲翁遺訓は、現代の民主主義においても通用する政治思想である。

 

君―臣―民」の立憲天皇制は、「憲法―公務員―国民」の民主立憲制に代わった。統治権は「天皇の総攬」から「主権在民」となった。

公務員を「天皇の使用人」から「国民全体の奉仕者」へ代える、君主政治から民主政治への大転換である。

その民主政治の基盤は、「公務員の人智を開発する」政治システムである。

遺訓第1条「広く賢人を選挙し、能く其の職に任うる人を挙げて政柄を執らしむは、則ち天意也」の「天意」は、戦後憲法では「日本国民の総意」つまり「民意」に代わった。

国民が、公務員に「政柄を執らしむる」のである。

 

民主政治とは、国民が『自治に基づく社会生活』で解決できない「公共の福祉」課題を、公務員が『法治に基づく国家政治』において対応する政治構造である。

□憲法前文

  日本国民は、正当に選挙された国家における代表者を通じて行動する。

□憲法第15

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

 

道義国家を理想とする西郷思想からみた日本国憲法の根本的な欠陥のひとつは、「政柄を執らしむる賢人」をいかに選挙するかの政治システムに言及しないことである。

 

大政と国政を分離する西郷思想は、万民の上に位する公務員を憲法公務員―国政公務員―地方公務員に大別する政治システムを要求する。

1)憲法公務員 大政システム―敬天愛人―道義・精神的価値を公務員に風教する。

2)国政公務員 国政システム―敬天愛民―功利・物質的価値を国民に提供する。

3)地方公務員 自治システム―敬天愛隣―人情・社会的価値を社会が維持する。

 

西郷の政治思想は、大衆迎合(ポピュリズム)、衆愚政治、全体主義(ファシズム)におちいりやすい民主主義を、道義心によって統制する賢哲政治思想である。

□遺訓第30条は、賢哲政治・大政システムの「政柄を執る」憲法公務員の理想像を示す。

命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 

 20181120日のトップニュースは、日産自動車の会長の逮捕である。50億円の報酬を隠蔽し、会社資産を私物化する私欲、貪欲の醜態である。資本主義経済の道義心の欠如である。アメリカのトランプ大統領の言動は、民主主義政治の道義心の劣化を示す。

 

●グローバル社会の道義的民主主義国家をめざす大政システムの構造

A:民意収集システム B:賢哲公務員風教システム C:憲法公務員選挙システム

D:政策立案システム E:国政公務員選挙システム F:憲法改正草案作成システム

G:国政実績開示システム

 

 

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