No.27 遺訓第29条 国民に自治教育・国家権力者に徳治教育の必要性  2021年8月21

    

■遺訓第29条  

道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生などに、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れども、人は道を行ふものゆゑ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。

故に只管ら道を行ひ道を楽み、若し艱難に逢ふて之れを凌がんとならば、弥弥道を行ひ道を楽む可し。予壮年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、今はどんな事に出会ふとも、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。

 

■遺訓第29条の解釈 

自分もそのひとりである世間の一般の人は、成功すること・失敗しないことを目標として努力する。動機やプロセスよりも現実の結果状態・効果・成果を価値判断の基準とする。

おおくの普通の人は、なるべく<困厄や艱難に逢ふ>ことをさけて安楽な道をえらぶ。<事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有る>ことに関心をよせる。能力才智の優劣強弱がもたらす<事の成否>を気にして自分と他人をくらべて生きる。

なによりも<身の死生>にものすごく関心をよせる。死生観なき救命・延命・人命尊重絶対主義の時代。新型コロナ感染症への対応をみればあきらかだろう。

 

<刻苦勉励>、<苦あれば楽あり>、<艱難なんじを玉にす>、<この道ひとすじ>、<道をきわめる>、<千万人が反対といえども我が道をいく>などのことばがある。

職業選択の自由と競争に価値をおく現代社会は、<刻苦勉励>の自己努力がもたらす成果の程度において、<名声・財産・権勢・地位>などの社会的栄誉をもってその人に報いる。自由競争の結果として尊卑貴賤の格差と地位と階層と分断がうまれる。

 

西郷が生きた幕藩体制の士農工商の身分制の世では、尊卑貴賤の社会的地位は生まれながらにして世襲される。個人の自由なきトップダウンの<経世済民>の時代。男尊女卑や官尊民卑の序列。

古今東西、政治体制のいかんを問わず<尊卑貴賤>は人間社会の自然現象だろう。それは、ホモサピエンスに潜在する<心と頭の複雑性>に由来するのだろうとわたしは思う。

 

ところが西郷は、前条で「道を行うには尊卑貴賤の差別なし」と述べた。そして第29条で社会的評価の尊卑貴賤に執着しない、世俗の価値基準をこえる自分の人生観について述べる。

遺訓第29条は、西郷が<道を行ひ道を楽む>自分自身の堂々たる人生論である。

予壮年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、今はどんな事に出会ふとも、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也>の心境にいたる西郷のいう<艱難>は何を意味するか。

 

それについては、自分を抜擢してくれた藩主島津斉彬の急死から遠島の囚人・牢人をへて、西南戦争での自死にいたる、あまたの西郷物語がある。

西郷は、錦江湾に月照とともに身をなげた。思いもよらず自分だけが蘇生。そのとき西郷は30歳、その後の自分の人生を「土中の骨」と了解。この事件が西郷の死生観の源泉であろう。

※「敬天愛人」に結晶する西郷思想を形成した人生50年を、わたしは6期に分ける。

1期:少年期 1827年~1844年、017歳(17年)

2期:農政役人期 1844年~1854年、1727歳(10年)

3期:斉彬秘書期 1854年~1858年、2731歳(4年)

4期:流人思索期 1858年~1864年、3137歳(6年)

5期:倒幕参謀期 1864年~1868年、3741歳(4年)

6期:明治維新期 1868年~1877年、4150歳(9年)

 

流人思索期の<艱難>が、西郷精神の構築にとって決定的な環境条件であったことは明らかだろう。

漢詩に「獄に在っては天意を知り 官に居ては道心を失う」という境地をはきだす。その境地は、自分を第三者目線で対象化する超越的な<心眼>による認識次元である。

天意・道心は、遺訓第24敬天愛人」、25人を相手にせず、天を相手にせよ」、26己を愛するは善からぬことの第一也」、27己の過ちを認める」の気象。

 

西郷の人生論は、この世で生きる<事の成否><身の死生>に執着しない「丈夫玉砕愧甎全 不為児孫買美田」の死生観と人生論に結晶する。(遺訓第5

(甎全を愧ず;使命感をもたず志なく生きながらえることを恥じる。子孫に財産など遺さない。)

そして遺訓第30条の「命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也」につづく。

 

◆論点29.1 『南洲翁遺訓』をよむ理由  

わたしは、これまでたいした<艱難>もなく凡庸な人生77年をすごしてきた。<丈夫>ならざる凡人・小人たる隠居老人の自分にとって、西郷の50年たらずの人生は<英雄伝>の物語としかおもえない。

西郷の<事の成否><身の死生>に執着しない人生論は、わたしのような下々の人間には手の届かない別世界の人生とおもえる。並はずれた超人的な人物である。

そんな自分がなぜ『南洲翁遺訓』をよむのか。

 

その理由は、『南洲翁遺訓』が国家の為政者にむけた人生論と仁政論であるからだ。西郷がいう<道を行ふ者>とは、国家の為政者・権力を行使する地位にある者をさす。現代の政治体制における為政者は、「正当に選挙された国会における代表者」(憲法前文)である。

代表制民主主義における<為政者>は、「全体の奉仕者である公務員」(憲法第15)。

わたしは、国家経営の<立法―行政―司法>を職分とする公務員にむかって、自分が何を要求するかの教典として、民主主義―主権在民の国民のひとりとして『南洲翁遺訓』をよむ。

日本だけでなく世界諸国の国家指導者層に<西郷的人物像>を求め、<安心立命>・<経世済民>・<天下泰平>のユートピアを夢想するからである。

 

◆論点29.2  トップダウン『南洲翁遺訓』とボトムアップ『日本国憲法』を接続する

江戸時代には職業選択の自由はなかった。大名家・諸藩の藩士たる武士階級が、お上である公務員としての身分を世襲した。

西郷の人生論は、士農工商の身分制社会における<武士>の役割に制約される。その人生論は、仁政国家論をベースにする。生まれながらにして、為政者階級の武士の身分を生きる西郷の政治思想の根幹は、仁政によって<天下泰平>のユートピアを実現することにある。古代中国の堯舜の仁政を理想郷とする統治機構はつぎのように図式化できる。

※1 権威・天帝 ☞ 権力{天子・百官 ➡ 諸侯・有志・役人} ☞ 国民{百姓・一般庶民} 

仁政国家論は、<万民の心が即ち天の心>を実践する<権威→権力→国民>という上から下へ、トップダウンの<仁徳>を伝播して<天下泰平>をめざす徳治である。

 

西郷は、幕末と明治維新の動乱の時代、『武を振ひ』軍人政治家として生きた。文を興し<天下泰平>と『農を励まし』人民の<安心立命>をめざした。「政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。」(遺訓第3

「文武農」は、現代の用語では<・教育―・軍事―・経済>をさす。その政治思想は、つぎのように図示化できる。

※2 国家天下泰平>―為政者仁政+武威>―国民<安心立命

 

仁政による天下泰平のユートピアを阻害する悪徳者は、武威によって放伐されねばならない。天下泰平の維持には、<仁政・顕正>と<武威・破邪>の文武両道を必要とするのだ。

陸軍大将まで登りつめた軍人政治家たる西郷は、破邪顕正の<易姓革命>を使命感とする武力革命論者であるといわねばならない。

<破邪顕正>の基準は、<人を相手にせず、天を相手にする>・<天を敬い、人を愛する>こと、『敬天愛人』の天道思想であることはいうまでもない。天道思想は、世界中の一神教・多神教をつつみこむ<やおよろずの神々・お天道様>の視点から人類社会を観察する。

 

この西郷のトップダウンの天道思想は、現代の世では、前近代の封建思想として全面否定される。

現代の政治思想は、徳治国家を否定し、ボトムアップの個人尊重・自由・主権在民・民主主義にもとづく法治国家を人類の普遍的価値とみなすからだ。

『南洲翁遺訓』と『日本国憲法』はつぎのように対比できる。

 

※3 南洲翁遺訓 トップダウン ☞ 自然中心(地球生態系) 人情

<八百万の神々>→ 天下泰平 → 徳治国家 → 相互扶助 →知足安分 → 安心立命

※4 日本国憲法  ボトムアップ ☞ 個人中心(自立主体性) 人権     ↓ 【近代革命】

  <世界人権宣言> ←世界平和 ←法治国家 ← 民主主義 ← 自由人権 ← 個人主義

 

わたしは、<近代革命の再革命>をめざす21世紀の政治思想革命にむけて、トプダウンとボトムアップを接続する<徳治―法治―自治>の統治機構を構想する。

※5 徳治大政憲法議院人道 ☞ 法治国政・衆議院・人権 ⇦⇦⇦ 自治共政・地方議院・人情

 この<三治体制>の実現には、あきらかに憲法改正を必要とする。

 

◆論点29.3 憲法改正には<国民に自治教育>国家権力者に徳治教育>が必要  

<個人―社会―国家―自然>という空間認識は、社会生活をささえる<❶自助+❷共助+❸公助+❹天命>を枠組みとする福祉思想をうみだす。

2020年にはじまる新型コロナ感染症への政府の対策は、❶自助:<国民への自粛要請>と❸公助:<営業禁止の休業補償>と<医療機関のワクチン接種支援>でしかない。

医療保険制度を<共助>とみなす考え方もあるが、わたしは公的な社会保険料を税金の一種の<公助>の原資とみなす。

 

この視点を一般化すれば、現代の政治思想は❶個人主義と❸国家主義の二元論であり、日本国憲法には❷共助(お互い様の助け合い)と❹天命(死生観)への言及が不在という主張になる。「公共の福祉」は、公助と共助を一体化して国家の権能とされるのだ。

現代の政治思想は、個人を解放するボトムアップの近代革命の結果である。その政治思想を、「王権神授説」から「天賦人権説」への転回として説明する時代があった。そこには、人智をこえた<神>と<天>を権威の根拠とする意識がはたらいていた。

 

ところが現代の<個人尊重・自由・民主主義・法の支配>を普遍的価値とみなす政治思想には、<神>とか<天>などを畏怖・畏敬する志向性は不在。ひたすら現世的・唯物論的・道理よりも合理・経済成長一点張り・禁欲なき快楽追求。宗教的権威の世俗化。

一神教の<ユダヤ教―キリスト教―イスラム教>を道徳基盤とする西欧諸国は、軍事力を背景にして奴隷制・異教徒迫害・植民地支配・侵略戦争のおびただしい<負の遺産>を人類史に積み重ねてきた。文明と野蛮の表裏一体。文明社会の光と闇の二重性。自由と格差。

 

主権国家が万国対峙する国際政治の権謀暗躍は果てしない。国益至上、無節操、非人情、卑しく浅ましく貪欲な国家権力者たち。国家思想の根本が問われる激動の時代。

西郷は、「己を利する」西洋文明を「野蛮じゃ」と断じた。(遺訓第11

 

 西郷なきあとの大日本帝国は、『八紘一宇』、「世界を一つの家にする」という大義名分をかかげて大東亜戦争を<聖戦>とした。武装する天皇制の結末は、アメリカの原爆―核兵器武力による大日本帝国の自壊・消滅。されども<国破れて山河在り>、日本人と日本社会と自然は消滅せず。あらためて知恵を結集して人為的に<国家>をつくりなおせばよい。

 

西郷は、<事の成否><身の死生>に執着しない<丈夫>の死生観と<君臨すれど統治せず>の仁政論をかたる。その国家論の本質は、権威と権力の分離・大政と国政の分離。

1867年の明治維新から1945年の敗戦まで78年、敗戦から2021年の現在まで76年。軍国主義の戦前と経済主義の戦後のちょうど中間点に現在は位置する。

 

わたしは、西郷的人物を理想像として、一般国民への主権者教育と政治家・官僚志望者への為政者教育の両方、「己れ其の人に成る」(遺訓第20)の人間教育が必要だと思う。

一般国民には人情論と自治共政の人生論と国家論。為政者教育には人道論と徳治大政の人生論と国家論。それは、『敬天愛人』の思想哲学を多面的に展開することになるであろう。

その教育活動において、憲法改正草案の多様な代替案を作成することが目標となる。

 

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