No22.遺訓第24条 『敬天愛人』を「世界人権宣言」の上位理念とすべし  2020105

 

■遺訓第24条 

道は天地自然の物にして、人は之れを行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。

 

□遺訓第24条の解釈

この文脈のキーワードは、つぎのように配置できる。

※道・天地自然←<>我<>→人←<>天

「我」は統治者である政治家を意味し、「人」は被治者の国民を意味すると解釈しなければならない。南洲翁遺訓は、為政者・政治家に「修己治人」の政治倫理と人格修養を説くテキストであるから、「天を敬し」と「人を愛す」の主語は、国家の統治者たる政治家である。

「天を敬し」と「人を愛す」は、遺訓第21条「道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。の『敬天愛人』である。

この解釈をつぎのように図式化する。

※天地自然←<敬天>講学{政治家修己治人}愛人>→人類社会

 

『敬天愛人』の実践は、遺訓第9条「忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、万世に亘り宇宙にわたり易ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無しと遺訓第10条「人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。国に尽くし、家に勤むるの道」に表明される。

この構造は、儒教の「修身―斉家―治国―平天下」に対応する「自助―共助―公助―天命」が、学問―人智の開発―忠孝仁愛教化―道徳教育―国に尽くし、家に勤むるの道―愛国忠孝―四海同胞―人類社会に展開される。

愛国・忠孝・仁愛教化は、為政者・政治家を育てる「人智の開発」の倫理道徳であって、国民にたいして説教するものではない。この視点が西郷理解の要点である。

政治家は、天地自然―天下―生命―人類―人間を「居敬窮理」する『』の精神をもって学問をしなければならない。「身を修するに克己を以て終始」私心をはさまぬ(遺訓第1)謙虚な人格者、高潔な人物でなければならない。

「万民の上に位する」政治家は、『敬』を根本規範とし、国・愛―公務員・忠孝―国民・仁愛にひろがる『』の精神を修養する特殊な人間なのだ。

 

※西郷は、政治家に「滅私奉公」をもとめるのであって、国民にもとめるものではない。

 

西郷なきあとの明治国家・大日本帝国は、教育勅語によって天皇の臣民・赤子に「滅私奉公」をもとめた。聖徳太子の時代につづく日本史で伝統的な「祈り」の地位にある天皇を利用しまくって、軍人と役人が威張り散らした。西郷精神とは真逆の本末転倒である。

『敬天愛人』の「天」は、武装する天皇制国家元首の天皇を意味するものではない!

西郷の政治思想のポイントは、『敬天愛人』―愛国・忠孝・仁愛教化―政事の大本西洋と雖も決して別無し―国際政治―人類社会―天下泰平―天地自然に展開される国家論なのだ。

『敬天愛人』の天道思想は、日本国の統領、つまり日本人社会のもめごとを「義理人情」で処分する親分が、せまい島国根性の皇道・皇国史観をはるかにこえ、規模宏大なる心象を以てする「天地自然」に頭をたれる道義性である。

これが、遺訓第23条を「天地自然←<敬天>政治家・修己治人愛人>→人類社会」に図式化する意味である。

 

◆論点24.1 『敬天愛人』を「世界人権宣言」の上位理念とすべし

『敬天愛人』は、万国対峙する世界において、国境を横断する国際政治において、西郷が「西洋と雖も決して別無し」というすべての主権国家の指導者にもとめる政治倫理である。

では現代の国際政治における国際司法裁判所や国際連合が規範とする最高の道義性は、何であろうか。

それは、第二次世界大戦後の1948年に国連総会で採択された「世界人権宣言」であろう。

そこで「世界人権宣言と国際法と憲法のどれを優先するか」と国家権力を行使する政治家に問えば、あきらかに憲法をえらぶだろう。習近平もトランプも。

たしかに現代の主権国家を統治する政治規範として、だれでも認める「自由―人権―民主主義―法の支配は、地球規模の諸問題にむきあって人類社会が共に知恵をしぼる共有基盤を失っている。ほとんどの識者がこの事態を指摘している。

国際司法裁判所や国際連合は、主権国家の外交政策を強制する権力をもたないのだ。国連軍は、米英仏中露のいずれかが拒否権を発動すれば無力となり、逆に国際紛争を加速化させる事態をもたらす。

 

自治と徳治による社会秩序のユートアピアをかかげながらも、文字を発明しルールをさだめて法治国家を誕生させたのが、人類の歴史である。

現代の主権国家は最高法規としてそれぞれに憲法をもつ。

しかしながらその憲法解釈は、時の情勢によっていかにようにも変更できることを歴史はおしえる。日本国憲法第9条のご都合主義的な解釈変更の履歴は、その見事な事例にほかならない。

憲法を最高権威とする立憲法治思想は、国境に閉じた主権国家の「島国根性」を是とし、人類社会を支配する天地自然の摂理を共有しない。「天を共に」せず、天を畏れず、己を主張し、万国が対峙する「不倶戴天」の政治思想といわねばならない。

法の支配=法による統治=法治は、主権国家だけに適用される限界を必然とする。

この政治思想は、国境に閉じた領土社会を統治する主権国家の国益を金科玉条とする。

国民国家の指導者は節義廉恥なき自国ファーストを臆面もなく主張する。それを大多数の国民が喝采する政治状況は、道義精神が欠落した「個人尊重・自由・私利私欲・自分ファースト・天を畏れぬゴーマンな人間中心主義」の西洋流価値観を基礎とする、とわたしは思う。

2020929日、アメリカ大統領選挙をたたかう候補者どうしの公開討論を、たまたま用事のあった店の席にすわってテレビでながめた。

アメリカ流民主主義を映しだすその情景は、いやしく、みっともなく、不寛容で、慎みがなく、下品である。

道義精神が欠落した「自由―人権―民主主義―法の支配」の限界症状、黄昏を感じる。

 

西郷の『敬天愛人』は、不倶戴天ではなく、天地自然の下で生きる「ちっぽけな人間」たちの人類社会が、共に天をいだいて共有すべき道義的普遍性である。

グローバル社会の国際関係において、『敬天愛人』の価値観=天道思想を、「世界人権宣言」の価値観=自由―人権―民主主義―法の支配人道思想の上位理念とすべきだ、とわたしは思う。

 

◆論点24.2 『敬天愛人』を世界の政治指導者にむけて発信する運動を夢みる

20209月、人類社会はコロナ・パンデミックの渦中にある。

されども主権国家の指導者たちは、不倶戴天の不信関係に呪縛されている。共に天をいだいて協調・相互協力する国際関係の共通基盤を失っているからだ。

 「自由―人権―民主主義―法の支配」を普遍的価値として国際政治に君臨してきたアメリカ、イギリス、EU諸国や日本は、国境を越えて人類社会の存続に危機をもたらす共通課題をめぐって右往左往している。

 トランプ大統領は「賢い指導者は自国の利益を最優先する」と公言する。英国首相をはじめとしておおくの指導者が、その流儀をまねる。そこに中国が中華思想をかかげて世界秩序の再構築をねらう。

さまざまな識者がそれぞれに、文明の岐路である、対立から協調へ、あらたな経世済民思想を、地球村根性、などなど発信している。

しかし政権交代可能な二大政党制を主張する政治理論は、国民をふたつの支持者グループに分断する。選挙を気にする政治家は、自分の支持者にしか目をむけないからである。

国民の代表をえらぶその選挙投票システムは、デジタル社会の現実からおくれ、まことに時代錯誤の因循姑息な公職選挙法に縛られている。

 「自由―人権―民主主義―法の支配」の政治思想は、「共に天をいだく四海同胞」の原理をもたないだけでなく、国内政治においても多種多様な主義主張を調整するどころか、逆に社会の分断と対立をますます加速させている。

この状況にむきあう新思考のひとつとして、わたしは『敬天愛人』思想をベースとして国境を横断する国家論の創出をねがう。

喜寿過ぎた隠居老人のわたしは、 『敬天愛人』を世界の政治指導者にむけて発信する運動がわき起きることを夢みる。

主権国家の指導者を「規模宏大なる」政治家に育成する帝王学の教科書として、『南洲翁遺訓』を世界に発信する思想家・政治学者の登場を次世代の若者に期待したい。

 

※大政―敬天愛人、国政―敬天愛民、自治―敬天愛隣

大政―徳治 精神文化―精神的価値を公務員に風教する。 敬天愛人  人道

国政―法治 物質文明―物質的価値を国民に提供する。  敬天愛民   人権

共政―自治 伝統社会―互助的価値を自分たちで維持する。敬天愛隣  人情

※愛 

万民の心が即ち天の心なれば、民心を一様にそろえ立つれば天意に随うと申すものに御座候。(与人役大体)

参照➡No.12.遺訓第10条 人智の開発 ~公務員の道義心教育

No.16.遺訓第15条 戦後レジームからの脱却~節義廉恥の道義国家へ

No.18 遺訓第20条 「共政―国政―大政」三次元民主政治システム構想

 

 

以上  NO.21へ    NO.23