20.遺訓第22条 公務員は、いかにして「全体の奉仕者」になりうるか 2020年7月15日
■南洲翁遺訓第22条
己に克つに、事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼ねて気象を以て克ち居れよと也。
□遺訓第22条の解釈
「克己」の一般的な意味は、「心の中に起こる衝動・欲望を意志の力によっておさえつけること」と辞書にある。
「克己」が前提とする人間像は、個人をindivisualで分割できない単体とはみなさない。人の心は、善性・悪性、上品・下品、謙虚・傲慢、正邪、強弱、陰陽、美醜、誠偽、輝闇、貴卑、虚実、優劣などなど人間性と称される人格の無数の品評属性軸の多次元空間とみなされる。
ひとりの人間それ自体は、内部機構(即自)と外界との相互作用(対他)の両次元において、きわめて複雑怪奇といってもよい複合体である。
人は、予定調和の単純明快で「崇高な神に支配される気だかい存在」などからはほど遠い。個人は、生{少→壮→老}死の人生街道において、品評属性の値を年齢とともに変現させながら、混沌たる複雑系・可塑的存在として生きる生命体である。
そこから「克己」の概念がうまれる。
「克己」は、自分自身の中で相互に「克ち負け」をあらそう何者か、複数の分身の存在を前提とする。この人間像は、つぎのように図式化できる。
※自己=生身の自分 =中身+∑社会的分身 =即自+∑対他 =内在+∑外面
人という者は、「己に克つ」行動をとろうと思っても、そう易々とできるものではない。「平日道を蹈まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分の出来ぬもの也」(遺訓第33条)なのだから。
兼ねてより、予め(あらかじめ)、前もって、平時から、気象(宇宙の根元の現れ)に留意して、克己のこころがけをきたえておかねばなるまい。
そうしないと現実に物事の大事なときになって「己に克つ」と思ってもそうはいかず、自分の欲望にまけて私利私欲をかくしきれず、卑しいみっともないふるまいをすることになるのだ。
遺訓第22条は、第21条「道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ」のくりかえしである。
西郷がことさらに強調する「己に克つ」とは、国家の為政者、国家権力者、官吏、役人、官僚、軍人などにもとめる【修己治人】、【滅私奉公】、【道義大政】、【節義廉恥】の職業倫理である。その意志をきたえる日々の努力が、「兼ねて気象を以て克ち居れ」である。
◆論点22.1 西郷が批判する政府高官の「私を営みたる姿」
西郷は、明治新政府の高位高官たちのふるまいを批判する。
「己に克つ気象をもたず」、「平日道を蹈まざる」、「己を愛するは善からぬことの第一也」(遺訓第26条)の「私を営みたる姿」であると断じ、つぎのように述べる。
~(4条)己を慎まず、品行を正しからず、驕奢を戒めず、節倹を勉めず、家屋を飾り、衣服をかざり、
美妾を抱へ、蓄財を謀り
~(11条)宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華に気をくばり
~(16条)節義廉恥を失ひて、利を争ひ義を忘れ、財利に走り、卑吝の情、父子兄弟の間の銭財を
争ひ、相ひ讐視し
~(19条)自分を足れりとし、下下の言を聴き入らず
~(21条)私欲を貪り、我を張って、自分に固執し、独りよがり、自分を愛し、自分に甘く、
恐れ慎みの心が緩み、驕り高ぶり、自惚れて、戒めず自分に負け
~(25条)己れを尽さず人を咎め
~(26条)己れを愛し、過去の功労を自慢し、傲慢になり
~(27条)失敗したら取り繕はんとて心配し
~(29条)事の成否と身の死生だけを考え、艱難に逢ふては動揺を致し
~(30条)自分の命と名誉と官位と財産にこだわり
~(31条)世間の毀誉褒貶を気にして、自分の信念をもたず
~(32条)人から褒められたくて偉業を為そうとし、独を慎まず、人の意表に出て一時の快適を好み
~(33条)平日の備えをおろそかにして、事に臨みて狼狽し
~(34条)いつもいつも善からざる作略を謀り
~(35条)人と公平至誠に接せず、人を籠絡して陰に事を謀る醜状著るしく
~(36条)聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、とても企て及ばぬとしり込みし、
修業致さず、唯口舌だけで傍観する
◆論点22.2 西郷の「己に克つ」は、どのように修練されたか
西洋流近代思想を模範とする「文明開化」一辺倒の明治新政府を批判し、【敬天愛人】に帰結する西郷自身の「己に克つ」気象は、何をもたらしたか。
それは、「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全」(遺訓第5条)、志なくして生きながらえること(甎全)を恥じる強固な【意志】である。死生観にささえられた志操である。
その【意志】は、どのように修練されたか。
西郷は、斉彬の急死にあたり殉死を決意、されど朝廷の討幕派にちかい僧侶の月照にさとされて生きのびる。月照は、安政の大獄で幕府の刺客にねらわれる。
西郷は、その月照を鹿児島につれかえり隠そうとする。しかし公武合体路線にかたむいた薩摩藩は幕府にそむくわけにいかない。月照の処分をきめる。
西郷は、月照を見殺しにするわけにいかず、錦江湾にとびこみ心中をはかるも自分だけが蘇生、またもや生きのびる。
この出来事は、西郷の人生論と死生観に決定的な影響をあたえ、自らが「死を賭して遣韓使節」となることの主張、その「征韓論」政争の敗北による下野、それにつづく西南戦争による自爆へといたる。
ひとり息をふきかえした西郷は、幕府から逃れるために奄美大島に潜居。島妻と二人の子をもうけ、およそ3年をすごす。
「京都の政局に薩摩藩が主導的に関与するためには、西郷の人脈が不可欠である」という大久保の説得により、西郷は藩政に引き戻らされる。
ところが久光の命令に従わぬ行動により、数か月して大島の先の徳之島へ、さらに遠島の沖永良部島へ流罪人として島流し処分をうける。
粗雑な囲い牢に押し込められ、風雨にさらされ、衰弱しながら単座して沈思黙考の生活が数か月。地元代官のはからいで、少しくつろげる座敷牢にうつる。
親戚や旧知と手紙をやりとりしながら国内情勢を知る。たくさんの書籍を読み、思索と詩作に没頭し、志操を堅固にして、【敬天愛人】思想の骨格を形成する。
村の子どもらに「私欲の悪徳」を教え、流人ながらも農民救済の立場からサトウキビ営農の藩政改善を提案し、飢饉に備えて「社倉」設立の文書を作って役人に与えるなどして、およそ2年を過ごす。
江戸と京都の政治状況は、いよいよ西郷の登場を必要とする時勢となっていた。
やがて赦免召還の噂が流れてくると、島役人のための心得とすべき『与人役大躰』と『間切横目大躰』を書いてあたえた。
◆論点22.3 役人は、どうあらねばならないか
『与人役大躰』
与人役の儀は島中にてわずか三人にえらみ出され、万人の頭に立ち候えば、人民の死命を司ると申す場に相当り、至って重き職事に候。
与人一人事を誤りては千万人を誤ると申すものなれば、一時たりとも慎むべきわざに候。
体頭役は人心を得候が第一にて、其の人心を得候は我が身を勤めて私欲を絶ち去り候事に候。
万人の頭に立ち候えば下々のものは如何様(いかよう)無理を申し付け候ても、いやながら違背相成り難く畏まることに候えば、与人役と申すは尊きものにて、我が儘に取り扱わるるものと心得ては、忽ち万人の仇敵と相成る頭役にてはなく候。
役目と申すものは何様の訳にて相立たれ候か。
自分勝手をいたせと申す儀にては之無く、第一天より万人御扱い成され候儀出来させられざる故天子を立てられて万民それぞれの業に安んじ候よう御扱い成され候えとの事に候えば天子御一人にて御届け成されざる故、諸侯を御立て成される故、諸有志も御もうけ成され候も、専ら万民の為に候えば役人においては万民の疾苦は自分の疾苦にいたし、万民の歓楽は自分の歓楽といたし日々、天意を欺かず、其の本に報い奉る処のあるをば良役人と申すことに候。
若し此の天意に背き候ては、即ち天の明罰のがる処なく候えば深く心を用ゆべきことなり。百姓は力を労して本に報ゆるが職分、役人は心を労して本に報ゆるの職分にて候。力を労するとは作職に骨折りをいたし年貢を滞らず、或いは課役を勤むるが力を労するにてござ候。
心を労すると申すは百姓のたよりよきように取り扱いくれ候事にて凶年の防ぎをいたしたり、作職の時節を取り失わぬように仕向け候が心を労すると申すものに候えばこの本意をよくよく合点いたして難儀の筋をはぶきくれ候処、専要の義ござ候。
役人の取り扱いがよくて万民怨嗟することのなく候えば、風雨旱疾の憂いは之無きものにござ候。万民の心が即ち天の心なれば民心を一ようにそろえ立つれば天意に随うと申すものにござ候。
たとい代官の下知にもせよ、みすみす百姓いたみに相成る処は幾度も難渋の筋を申すものにござ候。
勿論奉公の身の上は犯す事ありてかくす事なしとの聖言に候へば、代官へ対しても道理のうえにて意に逆らうことありとも不敬の罪にては之無し。役場の筋を失わぬと申すものなればその弁え肝要の事にて候。
◆論点22.4 西郷は世間の人々をどうみるか、その人間観
西郷の人間観は、遺訓第6条「開闢以来世上一般十に七八は小人なり」に端的に表明される。
※「君子」たる厚徳な人物は、きわめてすくない。
世人は老若男女、十人十色、有象無象、ほとんどの人は、自分の生命を維持する生活のため、日々のくらしのため、世間でいきるための工夫をもっぱらとして、善悪ともに凡庸な人間なのだ。
『孟子』に「労心者治人、労力者治於人」という言葉がある。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められるという意味。
西郷は、『与人役大躰』のなかで「百姓は力を労して本に報ゆるが職分、役人は心を労して本に報ゆるの職分にて候」という。
下々の「カラダ労働」とお上の「ココロ労働」を対比する。現場の肉体労働職と机上の精神労働職を分別し、経済(農業)と政治(文武)を分離する。(遺訓第3条)
「個人の自由と平等」を金科玉条とする現代のリベラル知識人のおおくは、西郷の政治思想を「人間を上下に差別する」封建思想だと嘲笑し、きわめて評判がわるいようである。
◆論点22.5 役人の理想像 ~万民の為に国家の大業を成し得る人物
西郷は、役人と人々を【人格・人品・品格】の属性規準=徳性値によって明確に区別する。
『与人役大躰』は、役人が心得るべき遺訓第22条「兼ねて気象を以て克ち居れよ」の具体的な教えである。「大政を為すは天道を行うもの」(遺訓第1条)という西郷の前近代的「道義徳治」政治思想を、幕藩体制における末端の代官・役人にかみくだいて教える「経世済民」の文書である。
・役人は、万人の頭であり、人民の死命を司る立場であり、いたって重き職事である。
・役人一人の誤りは、千万人の迷惑となるので常に身を慎め。
・役人は、人心を得て信頼されることが第一、我が身を勤めて私欲を絶ち去れ。
・万民の疾苦は自分の疾苦にいたし、万民の歓楽を自分の歓楽といたせ
・万民の心を即ち天の心とすべし
・天意を欺かず、其の本に報い人物を良役人と申す。
・天意に背けば、たちまち天罰がくだる、ふかく用心すべし。 ➡ 易姓革命
・天意➡天子―諸侯―諸有志・役人は、もっぱら万民の為に生きる存在である。
西郷のこのような役人像は、孟子を教師とする。
※天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふべし。富貴にも貧賤にも威武にも屈すること能はずべし。「無意無必無固無我」の克己あるべし。
無意―私欲を貪ることを意欲するな 無必―自我を必ず通そうと自己主張するな
無固―自分事だけに固執するな 無我―独りよがりの自分ファーストになるな、
生まれながらにして下級士族の役人を職として生きざるをえない西郷自身の「克己」がめざす人生論は、前述の「丈夫玉砕愧甎全」である。この人物像は、遺訓第30条に集約される。
※命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
国家の大業を為し得る人物、「其の人に成る」ことをめざす克己修練の基礎は、命しらずの玉砕にいたる人生観と死生観であるといわねばならない。克己の結末に死をみすえるのだ。
年貢によって養われることを自覚し、職業選択の自由のない時代に「万民の為に生きる人物」の責任感や使命感たるもの、その心境は半端じゃない。
個人の自由なき士農工商の世襲制身分制度だからこそ、「武士」たる使命を果たせぬ事態にたいする責任として、「切腹・ハラキリ・玉砕」を従容として受け入れたのだ。
自由主義・人権主義・民主主義・主権在民の世に生きるわたしは、このような人間像をリーダーたる者とする江戸時代の統治者の精神性に驚愕するしかない。
西郷が「万民の為に生きる人物」にもとめる無私・超越・敬天愛人の精神性は、現代の日本国首相を頂点とする大臣・高級官僚・権力者・公務員・全体の奉仕者(憲法第15条)たちの言動・気性・人品・品性をはげしく照射しているようにわたしには思われる。
◆論点22.6 兼ねて気象を以て克ち居れよ
遺訓第22条「兼ねて気象を以て克ち居れよ」という「気象」とは、何を意味するか。
「気象」とは、①気温・気圧の状態、風などの自然現象、②気性・気立て・性格、③宇宙の根元である気が形(象)となってあらわれること(大辞林)の三つであるが、西郷のことばは明らかに③古代中国思想の人間観と世界観にかかわる政治思想上の意味である。
「気象を以て」という宇宙の根元への意識は、克己―自己を対自化する第三者目線である。
自然の道理から自分・自我・自己を観察するメタ認知の視座・視点・視線。人間世界をみおろす【お天道さま】に自然とアタマをたれるココロもちの仮構。
「気象」とは、天の下でけなげに生きる人間存在を絶対視しない、相対化する意志である。
西郷にとって「兼ねて気象を以て克ち居れよ」の「克己」の判断基準は、気象=万物の道理=天地自然の道である。気象の【気】は、幕藩体制をささえた朱子学の「理気二元論」の「気」にかさなるだろう。
現代では、この意味で「気象」がつかわれることはほとんどない。
「天にこうべを垂れる」人間の心性は、自由・人権を根本原理とする西洋近代の合理的政治思想から排除されてしまったのだ。
アタマをつかう理屈は普遍客観的に体系化する学問になりうるが、ココロをつかう気持ちのありようは個別主観的で『学問』になじまないからである、とわたしは思う。
◆論点22.8 公務員は、いかにして「全体の奉仕者」になりうるか
日本国憲法は、「国政は、国民の厳粛な信託による」とさだめる。「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とする。
憲法が「全体の奉仕者」とみなす公務員は、西郷のいう「役人は、万人の頭」と同じで「万民の心を即ち天の心とすべし」とは【民意=天意】だとわたしは考える。
2020年7月、財務省が学校法人森友学園へ国有地を売却した件で裁判がはじまった。原告は、財務省近畿財務局職員が職務上の理由で自死した夫の妻である。
夫は、「僕の雇用主は日本国民。だから、国民の方をむいて働く。」と手記に残した。財務省理財局長の指示によって国有地売却に関する公文書を改竄したことへの自責として自死したのである。江戸時代の封建制でいえば武士の「腹切」に相当するだろう。
被告である財務省理財局長は、国会答弁において❶立身出世の自己保身、❷所属する組織擁護、❸人事権者の上司への忖度をもっぱらとする「私を営みたる姿」をテレビ視聴者の国民のまえにさらした。そして国税庁長官の地位にみごとに栄進した。
「節義廉恥は国を維持するの道、西洋各国同然なり」(遺訓第16条)。「何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行われ難し」(遺訓第20条)。
全体の奉仕者であるべき公務員にもとめられる【修己治人】、【滅私奉公】、【道義大政】、【節義廉恥】の職業倫理などどこ吹く風、東大出身のエリート・キャリア官僚の矜持も地に落ちたといわざるをえない。
公務員を【教化】できる者は、だれなのか? 公務員の『克己』とは?