No.31遺訓第33条 戦争 国家容認の集団的破壊殺戮暴力行使 汚れた手  202269

 

■遺訓第33条   有事の処分 

平日道を蹈まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分の出来ぬもの也。譬へば近隣に出火有らんに、平生処分有る者は動揺せずして、取仕抺も能く出来るなり。平日処分無き者は、唯狼狽して、なかなか取仕抺どころには之れ無きぞ。夫れも同じにて、平生道を蹈み居る者に非れば、事に臨みて策は出来ぬもの也。

予先年出陣の日、兵士に向ひ、我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝て見よ、夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。

 

□遺訓第33条の解釈 

 平日道を蹈まざる人は、何か困り事に出会えばあわてふためいいて<処分>できない。平生道を蹈み居る者は、何か困りごとの有事の際でも落ちついて<処分>できる。

たとえば近隣に火事が発生した。火事場泥棒以外の一般の人は、火事の現場から避難する。対岸の火事、野次馬として見物しながら評論する者もいる。人それぞれの行動をとる。

出火という有事の事態に際し、使命感をもって出動する者は、消火作業を職分とする消防士である。

消防士は、燃えさかる火勢にたじろき、あわてふためき、おろおろしていたら仕事にならない。

火事を消すことが消防士の仕事である。火を消すことができる実行能力を日頃から備えておかねばならない。

 

<備えあれば憂いなし>というが、消防車や消火器を準備するだけでよい訳ではない。火が燃えるという現象の原理を学ぶこと、燃えさかる火を消す手順を学ぶこと。想定される火事に対応できる様々な物事を準備すること、そしてそれぞれの状況を想定して訓練すること。火事現場の状況を的確に把握できる能力、消火器具を正しく使いこなす能力、火事の中に飛び込む勇気・心の持ち方・胆力、・・・・などなどを含めて<備えあれば憂いなし>といえる。

 

明治維新において軍人政治家として働いた西郷にとって最大の有事は、戦争である。

その戦争に備えるべき第一は、我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝て見よ』。 

 : 一寸の虫にも5分の魂  窮鼠猫を噛む ・・・ 長い物には巻かれよ 逃げるが勝ち ・・・

 

◆論点33.1 平生道を蹈み居る者の処分能力  公平無私 究極の第三者目線

西郷のいう『平生処分有る者』の<処分>とは、物事に対応するたんなる対処・処理・処置ではない。<処分>とは、平穏無事ならざる困りごとが発生した緊急事態の有事において、その原因であるなにか悪いものや害を及ぼすものを<退治>できる実行能力である。 

<処分>とは、『正道』と『邪道』を判別して物事の利害関係、その良否・善悪を決裁する判断行為、害悪を排除する、始末する、片づける、ケリをつける、処刑、処罰、廃棄、剥奪など。

問題は、退治すべき害悪の是非、その判断基準である。世間に害悪をもたらす<善からぬこと>根本原因はなにか。

■遺訓第26条 己れを愛するは善からぬことの第一也

世の中に害悪をもたらす源泉は、愛己、私利私欲、自由個人主義、国益至上主義。

 

西郷がいう<処分>の判断基準は、法治国家の『法』ではない。大岡裁きの『情』ではない。人欲・人智をこえた天地自然の道、天道、『』である。公平無私の究極の第三者。

天道は、個人の自由・人権尊重・人道を基本とする憲法や法律にもとづく法治国家そのものの害悪を判断する道義、国際政治倫理である。☞ 四海同胞 

 

法は道に従う。人道は天道に従う。人権は人情に従う。人情は良心に従う。

 

■遺訓第7

  事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からず。・・略・・正道を以て之れを行へば、目前には迂遠なる様なれども、先きに行けば成功は早きもの也。

■遺訓第22

己に克つに、事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼ねて気象を以て克ち居れよと也。 

 

◆論点33.2 国民の代表たる政治家たちに、西郷的人物であることを願う

 西郷は、蛤御門の変、長州征伐、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、江戸城無血開城において指揮をとり、軍略家として『正道を踏み至誠を推し』、見識と胆力を発揮した。

そして留守政府における首班として、廃藩置県・天皇制中央集権国家・大日本帝国の<近代国家>たる基礎をつくり、征韓論争にやぶれ、西南戦争にいたる。

 

西郷の人生50年は、幕藩体制をささえる士農工商の身分制秩序の維持と崩壊、尊王攘夷と文明開化、帝国主義列強への批判と評価、文と武、仁政と武威、知恵と智謀、隠遁生活と役人生活、・・・などなどの根本矛盾に立ち向かう葛藤の人世街道といえる。

西郷は、平生処分有る者は動揺せずして、取仕抺も能く出来る人物として後世にその英徳の名をのこす。

 【敬天愛人】に集約される西郷の人生論と国家論を、西郷が指揮する明治新政府軍に降参した幕府側の荘内藩士たちが、『南洲翁遺訓』としてまとめてくれた。

 

■遺訓第1

廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、ちっとも私をはさみては済まぬもの也。いかにも心を公平にとり、正道を踏み、広く賢人を選挙し、よく其の職にになふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。

 

西郷の政治思想の根幹は、身の丈でくらす、義理人情、お互い様に生きる人々の<知足安分><安心立命><天下泰平>の治世を<天意>とする。☞ 四海同胞 天下泰平

『南洲翁遺訓』は、一般の人、国民へのメッセージではない。国家権力者に<正道を踏み至誠を推す>生き方を要求するその政治倫理のテキストである。

西郷は、国家権力者、為政者・政治家・公務員に<平生処分有る者><平生道を蹈み居る者>であることを要求する。

 

わたしは主権在民の主権者たる国民のひとりとして、国民の代表者たる政治家たちに、西郷的人物であることを願うひとりである。

 

◆論点33.3 戦争は国家容認の集団的破壊殺戮暴力行使である

古今東西、現実の世は、<万民それぞれの業に安んじ候><知足安分><安心立命><四海同胞><天下泰平>にあらず。

政治は国民の税金でくらす<お上>の仕事。天下動乱の世を繰り返す歴史。権力闘争、政権興亡の歴史。王道と覇道、正道と邪道、宗教と政治。権威と権力、仁政と武威。

それでも下々の人間たちは、いかなる政権であってもしたたかに、肩を寄せ合って生きのびる。自分と家族のために生計をたてる仕事が生活の中心。働いて国家に納税する。

 

2022年6月現在、第二次世界大戦の終結から約80年。テレビは連日、ウクライナを爆撃するロシア軍とそれに反撃するウクライナ軍との暴虐非道な戦争状況をうつす。

<自由・人権―民主主義・法の支配>を普遍的価値とみなす欧米主導の国際秩序の動揺、人類社会の有事。ロシアのウクライナ侵略は、日本にとって対岸の火事か、他山の石か。

<他山の石>とする一部の者たちが吹聴する<台湾有事>は、中国の内政問題か、それとも沖縄基地米軍と自衛隊が出動する「第二次太平洋戦争」の端緒か。

アメリカ、EU諸国、中国、ロシア、インド、北朝鮮、アジア諸国、そして日本、それぞれの主権国家の国益がせめぎあう万国対峙の形勢。

戦争は、政治の延長でおこる。政治折衝が失敗し破綻した究極の異常事態・暴力行動。武器によって殺し合う攻撃と反撃の闘争。

 

自国の主権・国益に反する敵国は処分されなければならない、という理由によって戦争は正当化される。自衛権の論理。

戦争は、国家元首が武力により敵国を<処分>することを、軍隊に指揮命令することによって勃発する。政治ではなく退治。攻めるも守るも政治の退行、行政の失敗。

戦争は、国家容認の集団的破壊殺戮暴力行使である。

 

◆論点33.4 戦争をもたらす醜悪なる<怪物>の源泉は? 汚れた手 

19456月、サンフランシスコ平和会議、世界平和を維持する機構として国際連合を設立、国連憲章を採択。されども米ソ冷戦、軍拡競争の激化、政治思想の対立と混迷。

1991年、ソ連崩壊、連邦共和国の分離独立、社会主義思想の自滅。

資本主義の勝利、米国主導の新自由主義の謳歌。国境を自由に横断するグローバル市場。

経済成長一点張りの戦後日本の国策、米軍基地に庇護された国際政治・外交・国防。

 

冷戦後の人類社会の『国際秩序』は、「世界の警察官」たるアメリカ軍によって維持されてきた。その『国際秩序』の根幹は、自由・資本主義―人権・民主主義―法治・国家主義を<普遍的価値>とする。

台頭する中国は、アメリカ主導の<普遍的価値>にもとづく『国際秩序』をみとめない。

中国は、軍事力を増強しつづけている。

 

普通の人々の生命と生活を破壊する戦争、<国家が容認する集団的破壊殺戮暴力行使>をひきおこす醜悪なる<怪物>、<汚れた手>をもつ偽善者はいったい何様なのか?

1)独裁者プーチン・習近平などそれぞれの国家元首の資質・性癖なのか

2)国家権力者を支持するそれぞれの国民性と政治体制なのか

3)ロシア軍・ウクライナ軍・米軍・同盟軍などそれぞれの軍隊、軍人と私兵の暴力兵団なのか

4)「核兵器によって戦争を抑止する」という武器信仰の政治思想党派なのか

5)武器弾薬の製造、兵站諸事業をビジネスチャンスとする死の商人・軍需企業なのか

6)自由・資本主義―人権・民主主義―法治・国家主義の<普遍的価値>そのものなのか

7)自由・人権保障・生命・財産・暮らしを『国家』にゆだねる主権在民の国民意識なのか

8)そもそも領土と国益と自衛権を不可侵とする『国家』機構そのものなのか

9)それとも頭脳だけが異常に自己増殖した人類そのものの宿命なのか

 

◆論点33.5 戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり

西郷は、『戦争に備えるべき第一は、我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝て見よという。

 

■遺訓追加2 

 漢学を成せる者は、弥(いよいよ)漢籍に就て道を学ぶべし。道は天地自然の物、東西の別なし、苟も当時万国対峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏伝を熟読し、助くるに孫子を以てすべし。当時の形勢と略ぼ大差なかるべし。

敵を知り、己を知れば百戦危うからず。・・・百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。・・・ 戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。・・・・・

 

『孫子の兵法』は、西洋の『戦争論』とはちがう。その本質は『武力征服』ではなく『智謀による勝利』。平和を追求する非戦・不戦・厭戦思想。覇道ではなく王道。西郷の敬天愛人。

西郷亡きあとの大日本帝国は、台湾を植民地にした。韓国を併合した。満州を支配した。善政を為したという者も少なくない。戦争に負けて今や米軍海兵隊が沖縄に駐留しつづける。

 

ロシアのウクライナ侵略、国際秩序の動揺、台湾有事の想定、北朝鮮・中国・ロシアを仮想敵国とする猜疑心、日米軍事同盟の強化、米軍はらいさげの武器購入、軍事予算の膨張、安倍・菅・岸田とつづく自民党政権の政治は、『正道を踏み至誠を推す』国策といえか。

自民党の国防族議員は「中国、北朝鮮、ロシアの三面同時対処の備えをやらなければならない」と声高にいう。

その備えは、国民の生命と生活の安全を保障するといえるか。

 

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