30.遺訓第32条 餓鬼・畜生・地獄の外道戦争を<自衛権>で正当化する<国家>とは?

2022526

■遺訓第32

道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司馬温公は閨中にて語りし言も、人に対して言ふべからざる事無しと申されたり。独を慎むの学推て知る可し。人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒む可し。

 

◆遺訓第32条の解釈

司馬温公(10191086年)は、中国北宋時代の政治家・歴史家・儒学者。19年の歳月をかけて歴史資料294巻の『資治通鑑』を1084年に完成。その編者として後世に名をのこす。

資治通鑑』は、紀元前403年の戦国時代の初めから宋の建国960年までの1363年間にわたる歴代王朝の事跡を年代順に記述した書籍。

その目的は、儒学的な道徳史観にもとづいて、王朝興亡の原因と皇帝の政治のあり方を後世にのこすことにある。史料選択の正確さと厳密な批判と正確な考証をおこなった歴史書として、現在でも帝王学のひとつとして推賞され、中国史学界に与えた影響は大きいといわれる。

遺訓第32条は、『偉業を貴ばぬ』という『道に志す者』の生き方・信念・人生論を、つぎのような文脈で説明する。

①司馬温公は閨中においてさえも、他人に聞かれてはこまるような私的な会話をしない。

②学問は独慎である、独りよがりであってはならぬ、公的な言動であると知るべきだ。

③未熟者は世間の人をびっくりさせて名声を得て、一時の愉快を楽しむ、みっともない。

閨中、秘事、私語―独慎・学問・公然―意表・名声・快適―未熟・戒む可し、という遺訓第32条の脈絡は、どうもわたしにはすっきりと理解できない。

 

もっと単純に<人を相手にせず、天を相手にする>道に志す者は、前条の『命もいらず』につづく『名もいらず』という人物の説明だと解釈したい。

世間のほとんどの人は、<偉業>偉大な事業・功績をなしたものを賞賛するものだ。だから『有名になりたい』、名声がほしい、そのために<偉業>を為そうとする。

しかし『道に志す者』は、ふつうの人とはちがう。世間の毀誉褒貶に関心をもたない。『いかなる艱難の地に立つとも、事の成否、身の死生などに少しも関係せぬもの也』(遺訓第29)、『命もいらず、名もいらず』遺訓第30)、世間の名声などをもとめない、正道を踏むだけ。

だから、『道に志す者』は、『偉業を貴ばぬ』。

 

西郷が、そういう人物の範例として司馬温公をあげる理由は、つぎのとおり。

資治通鑑』は、史料選択の正確さと厳密な批判と正確な考証をおこなった学問の成果である。それは、後世の人から誉めそやされる名声をえた司馬温公の偉業である。

しかし<偉業を貴び、名声を得る>ことを目的として王朝の歴史を記述したわけではない。

自分勝手な考えではない<独りを慎む>学業によって、当然のことをしただけである。その成果が後世の人の賞賛する<偉業>となっただけのことにすぎない。

<偉業>を為そうとして、個人的欲望の出世欲に動かされて人の意表に出て、世間から喝采をあび、ほめられていい気分になり、一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒む可し。

 

◆論点30.1 小人は閑居して不善をなす、君子は独りを慎む   

慎独<独りを慎む>は、朱子学の古典である『大学』の「君子必慎其独也」から来た言葉。

徳のひくい者、つまり自分の損得だけを考える<小人>は、他人の目がとどかない独りでいる時、良心がとがめても私利私欲の悪業・不正に手をだす。

ところが損得よりも『道義』を人生の価値観の基本とする<君子>に出会えば、自分の悪事をかくし、善人顔をしてふるまい、つくろいをする。けれども自分の悪い行いを隠そうとしても、他人からは心の奥底まで見抜かれてしまう。

<君子>は、「心の中に誠があれば、それは必ず形となって外に現れる」ことを信じて、一人きりの孤独の時でも自分の欲得を慎み、良心に反することをしないよう【天意】を探求することを学問の道とする。

※西郷は、『開闢以来世上一般十に七八は小人』(遺訓第6条)という。

<君子>と<小人>とを対比させる人間観、『道を踏む人』と『世上一般の人』を分ける人間観は、<賢人>と<凡人>の違いを問わない<個人の自由・人権尊重・平等>思想の現代においては、ふるくさい論外な思想なのだろうか?

 

◆論点30.2 格物致知 ➡ 正心誠意修身 ➡ 斉家治国 ☞ 平天下

『大学』といえば<格物 致知 誠意 正心 修身 斉家 治国 平天下>の八条目が有名。

『古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、

先ずそのを治む。その国を治めんと欲する者は、先ずそのを斉う。
その家を斉えんと欲する者は、まずそのを修む。 その身を修めんと欲する者は、まずそのを正す。 その心を正さんと欲する者は、先ずそのを誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。知を致すは物に格るにあり。』

格物 物にいたる(朱子学)、物をただす(陽明学)。致知=知識と知恵を極めること。 

誠意=を働かせて超越的<天意>を誠実に忖度する至誠の意識天を敬い人を愛する) 

正心=情を正しく動かして欲望の劣情をおさえ、良心に恥じぬ修己・克己の心象

修身=体をきたえる修業をかさね、誠意・正心・正道を踏み物事を処理する実行能力

斉家=家族・仲間・生活共同体の平安な秩序、慈母・厳父・友愛・相互扶助の生活共同体

治国=政治的共同体である国家の平安な秩序、繁栄、領土・領民の保全、政治的共同体

平天下=個人・社会・国家・世界の平安な秩序、四海同胞、人類社会、地球、天下泰平

 

この八条目は、万民の上に位する国家権力者・為政者の人生論・道徳である。

※儒教・儒学は、下々万民の<安心立命>と<天下泰平>をめざす、<経世済民>の国家統治論・政治学である。八条目は、為政者・政治家・公職者・組織の指導者に要求される自己修養・人格陶冶・滅私奉公の『道』を示す。

西郷が国家権力者に要求する<滅私奉公>の道は、自由・民主主義・法の支配を普遍的価値とする近代国家の政治思想にとっては、ふるくさい論外な思想なのだろうか?

 

◆論点30.3 独を慎むの学推て知るべし  学問―人生論と国家論

儒教は、仏教やキリスト教などの超越的な<神仏>とおなじく<天帝>を前提とする宗教の側面もあるが、儒学ともよばれるように現世的な政治学・学問である。

『大学』の八条目は、<格物致知>ではじまる。格物致知>を現代に翻訳すれば、自然科学と人文科学を総合する<学問・学術>に相当するだろう。

陽明学は、格物致知>を「物をただす」とよむ。<知行合一>・<事上錬磨>を学問の修業とする。

朱子学は「物にいたる」とよむ。格物致知>の学問修養の方法を<居敬窮理>とする。

居敬とは心の修練、良心。その方法は、慎独―静座して心を一つのことに集中、人為・人智をこえる<天道天網恢恢疎にして漏らさず>への恐懼、天意に対する敬畏、克己戒心。

窮理とは頭の修業、知恵。その方法は、読書―漢学・漢籍、天下泰平の秩序と政治権力の興亡を教える歴史書。

 

西郷は、<儒学的な道徳史観>にもとづいて、中国王朝興亡の原因、皇帝政治のあり方を後世にのこす『資治通鑑』を2回も読んだそうだ。

遺訓第32条は、偉業を貴ばぬ、道に志す者、『独を慎むの推て知るべし』という。

■南洲翁遺訓第21条 

講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己れに克つの極功は無意無必無固無」と云へり。

総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。よく古今の人物を見よ。

・・・略・・・功立ち名顕はるるに随ひ、いつしか自ら愛する心起り、恐懼戒慎の意弛み、驕矜の気漸く長じ、其の成し得たる事業をたのみ、苟も我が事を仕遂げんとてまずき仕事に陥いり、終に敗るるものにて、皆な自ら招く也。故に己れに克ちて、観ず聞かざる所に戒慎するもの也。 

 

観ず聞かざる所>は、人智・人為を超えた<天網恢恢疎にして漏らさず>の<天道>・<天意><お天道様><神仏>の意志・天地自然の道理・イデア・形而上学の領域である。

西郷は、19世紀末の列強帝国が対峙する時代を生きる明治新政府の軍人政治家である。文明開化・富国強兵を国是とする近代国家建設の指導者として、『資治通鑑』をどのように読み込んだのだろうか。

 

◆論点30.4 天道天を敬い―己克修業、滅私奉公、修己治人―人を愛す<人道

西郷は士農工商の身分制度に生きた武士・軍人政治家である。その人生論と国家論の政治哲学は、仁政武威。己を修め人を治める、修己治人。艱難辛苦の修業のはてに到達した政治思想が、天道天を敬い―滅私奉公―人を愛す<人道>、【敬天愛人】。

その思想を、囚人としてすごした沖永良部の島役人に、つぎのように教える。

『与人役大体』 

 役目と申すものは何様の訳にて相立たれ候か。

0)第一より万人御扱い成され候儀出来させられざる故

1)天子を立てられて万民それぞれの業に安んじ候よう御扱い成され候えとの事  

2)天子御一人にて御届け成されざる故、

3)諸侯を御立て成される故、

4)諸有志も御もうけ成され候も、専ら万民の為に候えば

5)役人においては万民の疾苦は自分の疾苦にいたし、万民の歓楽は自分の歓楽といたし、

6)天意を欺かず、其の本に報い奉る処のあるをば良役人と申すことに候。 

7)若し此の天意に背き候ては、即ち天の明罰のがる処なく候えば深く心を用ゆべきことなり。

8)万民の心が即ち天の心なれば民心を一ようにそろえ立つれば 天意に随うと申すものにござ候。

 

※<万民それぞれの業に安んじ候>を実現する<天下泰平>の治世が天意である。

天子―諸侯―諸有志―役人、それぞれの地位にいる者は、天意・明徳を探求し、『己れに克ちて観ず聞かざる所に戒慎』、『天を敬い人を愛する』、<滅私奉公>を実践せよ。

天道・天意・明徳に背く政治には、天の明罰、天罰がくだる。軍人政治家の西郷にとって、天罰・天誅を下すのが武士の使命である。

<天下泰平>をめざす治世の『道』は、仁政・武威の文武両道なのだ。

『与人役大体』に表現される西郷の政治思想の修養と実践を、自由主義―資本主義―民主主義の現代の政治家・公務員・公僕・官吏に要求することは、まったく論外・荒唐無稽なふるくさい封建思想にすぎないのか? 

 

◆論点30.5 餓鬼・畜生・地獄の外道戦争を<自衛権>で正当化する<国家>とは?

20225月、ロシア軍がウクライナに侵攻して3ケ月が経過。身の丈でくらす生活者たちの<知足安分><安心立命><天下泰平>とは真逆な人類社会の光景。

主権国家の自衛権と交戦権の発動、餓鬼・畜生・地獄の外道戦争、仁政なき武威の暴虐。

ロシアの<特別軍事作戦>の<戦争>を、国際政治はどのように収束できるか。

停戦と和平、その合意形成と妥協の可能性、そのための価値観の根拠をどこに求めるか。

高度な科学技術の学問を結集し軍事兵器の<道具>を開発・維持・運用する技術者。戦争特需で富を肥やす死の商人。大量破壊兵器を信奉する<道義>なき政治権力者。

<道具>と<道義>の乖離、絶縁、断絶、その<道>の関係性をどう考えるか?!

 

国際法と憲法学を頂点とする政治哲学者・行政学者に問う。自由主義―資本主義―民主主義は、<主権在民>の法治国家が発動する悪逆非道の戦争を抑止できるか?!

 

<主権在民>の日本国民諸氏に問う。来るべき20227月の参議院選挙において、いかなる政治家に投票しますか?!

 

以上   No.29     No.31