4. 倫理道徳とは  

4.1 倫理道徳とは ~辞書の意味

4.2 小中学校における道徳教育

4.3 高校における倫理教育

.4 倫理学、応用倫理学、実践哲学

4.5 生活感覚に根差した「道徳」の実践

4.6 倫理と自然や崇高なものとの関係 ~宗教感覚

 

往還思想は、つぎの命題の「人」を「老人」におきなおして、老人倫理を考える。

命題A: 人は、命あるかぎり生きること自体に尊厳をもつ。

命題B: 人は、自由であり、人生の最終目的を自分の幸福とする。

命題C: 人は、単に生きることが尊いのではない。よく生きることが尊い。

老人倫理

  ・生命倫理; 延命治療をしてまでも長生きするのは倫理的か?
  ・世代間倫理; 老人の社会保障費負担を過剰に壮年世代に負わせるのは倫理的か? 

◆保険料をはらう、税金をはらう、という倫理性は、いかなる意味をもつか。

◆保険や税金で社会保障を受ける、もらう、救済される、という倫理性は、いかなる意味をもつか。

この章では、そもそも「倫理道徳」は、どのような意味で学校や専門家たちのあいだで語られているかを、辞書や教科書などで調べてみる。

 

4.1 辞書による倫理に関連する用語を確認する (広辞苑と大辞林)

「倫理」という言葉が、世の中でどのように理解されているか、まず辞書をみてみよう。「倫理」に関連する用語の意味をいくつか引用する。

人間

 ①一定の感情・理性・人格を有する人。人類。(ひとりの主体的な個人) 

 ②ある個人の品位、人柄、人物。(用例;なかなかの人間、人間ができている) 

 ③人の住む世界。世間。世の中。じんかん。(人間とは、他者との間柄) 

個人

 国家または社会を構成する個々の人。一個人。私人。生命個体。うえの人間の意味①

社会

 生活空間を共有したり、相互に結びついたり、影響を与えあったりしている人々のまとまり。国内および国外の集団組織法人、コミュニティ

国家

 一定の領域に定住する人々が作る政治的共同体。主権、領土、国民で構成される。立法、統治、司法の諸機関をもつ。

 

◆以上をまとめて図示すればつぎのようになる。

「とりの個人は、人間として、国家の国民、諸社会の成員、人類の一員として生きる。」

 ひとりの人間 = ①個人 + ②社会人 + ③国民

  ・自分―自分たち―みんな  ・私―共―公  

 

法律

 社会生活の秩序を維持するために、統治者や国家が定めて国民に強制する規範、法。 

規範法則
真・善・美を実現するために従うべき法則。
(自然法則に対置される人為的な規定、約束事)
①論理の法則、②道徳の法則、③美醜の法則。

法則

 ①守らなければならない決まり、おきて。

 ②一定の条件のもとで必ず成立する事物相互の関係の記述。

 ③個別的な事象、現象を統一的に説明できる根拠

律法:

 神により祭司や預言者を通して与えられる宗教や倫理生活上の規範。

 

◆以上をまとめればつぎのようになる。

社会生活の秩序、統制 ≪-- 法律 規範 道徳 宗教

公・・・・ 国家 権力

共・・・・ 社会 規範

私・・・・ 個人 道徳

天・・・・ 神  宗教

 

道徳:

 人としてふみ行わなければならない理法とそれを実施する行為。
自己の行為または品性を、良心ないし社会的規範をもって律し、善徳と正義をなし、悪および不正をなさぬこと。
自分とどうじに他人の良心に宿る正邪善悪を知り、正善を意志し、邪悪をしりぞけること。ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。

道徳は、法律と違い外的な強制力がはたらかない。個々の人の内面的原理としてはたらくもの。超越者との関係である宗教と異なって、人間相互の関係を規定する。
道徳の根拠に関する考え方。 
 ①幸福など理想的な生き方を求める人間の本性。(普通の人にとっての常識的な考え)
 ②人間をこえた権威をもつ神や国家の法則、客観的基準。(ヘーゲルや宗教者などの考え)
 ③善として絶対的・無条件に強制され、普遍的に妥当する定言的命令。(カントなど)

倫理:

人として守るべき道。道徳、モラル。人間的な美意識(エチカ)。

良心:

 正邪・善悪を判断し、善を命じ、悪を退ける知情意の統一的な意志。

こころ:心

 人間の精神活動を知・情・意に分けたとき、知をのぞいた情・意をつかさどる能力。喜怒哀楽、快楽悲哀、美醜、善悪などを判断し、その人の人格を決定すると考えられるもの。

 

◆「私共公天」の枠組みで対応させれば、つぎのようになる

天 個人と彼岸・超越の関係

  信仰; 宗教、律法、戒律  自然の摂理、信条の自由

公 個人と国家の関係 

法律; 制度、強制、罰則  権利・義務 統制 ルール

共 個人と仲間の関係

倫理: 道徳 配慮 共感 親切 作法 行儀  モラル

私 個人と自分の関係

良心; 身体自己―生活自己―了解自己の統一性  WillCanMust

 

人倫:

①人と人の間の道徳的秩序。(孟子:父子の孝、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)
②主観的な道徳性を超えて客観化された諸個人の理性的意志・普遍的本質(ヘーゲル:家族・市民社会・国家の実体として実現)。

 

●人倫について  倫理道徳の社会性

うえの「人倫」は、①が儒教思想であり、②が西欧思想に対応する。

良心は、善悪を判断する個人に閉じている。自己の内なる神座である。

しかし、人倫は、個人の良心をこえる外部社会における倫理観である。この人倫思想は、倫理と法律と信仰の関係を体系化する形式をもつ。人倫は、社会的な実践道徳教育につながる。それは、強制をともなう。拘束を是とする権力関係である。

儒教の「終身―斉家―治国―平天下」は、西洋の「個人―家族―市民社会―国家」という階層に対応できる。

儒教では、「天」を超越とする。西洋では、「神」を超越とする。いずれも形而上学である。

戦前の天皇制においては、「忠君愛国」、「滅私奉公」という国民道徳があった。そこに「修身」を鍛錬する「人としての道」が示されていた。それは、儒教の朱子学を基礎においた。

しかし、戦後日本は、道徳教育における国家統制を人権侵害とみなした。「倫理・道徳」教育は、戦前への復古思想として遺棄された。個人の自由と人権尊重が、道徳、教育、政治、信仰のそれぞれ領域に分散され、それぞれが機能的に閉じた不可侵領域としてバラバラに分離されたのである。

 

●現代日本社会の「人倫」とは?

現代の日本社会に、社会および国家の成員全体が共有する道徳的な「善悪・正邪」の判断基準は存在するか?

心情的には、普通の日本人として「何となく常識的で素直な良心」がある。しかし、理性的には、信条の自由ゆえに、国民に強制する道徳基準はない。子どもから痴呆老人まで、思想・信条すべからく価値相対である。強要、強制される価値基準はない。

「法律」だけが、個人の生命・自由・人権を絶対的価値とする近代思想の法治国家において、個人の行動に対する強制力義務と不作為の罰則・投獄をもつ。

「宗教」は、唯物論的科学技術思想において、主観的な「迷信」、「迷妄」と同義語とみなされて「善悪・正邪」の判断基準にはならない。

徳治政治は、主観的で恣意的だとして、民主主義体制においては議論にすらならない。「捨てるべき過去の叡智」とみなされる。

 

従って、万人に適用できる「倫理、道徳」の内容を、「個人の自由」と並存させながら具体化することは、きわめてむずかしい。

たとえば、痴呆老人と要介護者および保険料納付者などとの人間関係は、つぎのようにそれぞれの社会的立場において心情を異にする。

・家族、血縁者; 家族愛   夫婦、親子、兄弟姉妹、親類縁者
・地域、住民 ; 相互扶助  近所付き合い、隣人関係
・行政    ; 社会福祉  公正、平等、救済  保険、税金

・介護事業者 ; 介護ビジネス   費用対効果  事業経営     生活倫理

・医療、看護  ; 医療看護ビジネス  費用対効果  事業経営  身体倫理

 

これらの社会保障領域において、倫理、道徳、良心、善悪の判断基準として、いかなる行動指針が、「人倫」として言語化できるのか。

紀元前から営々として思弁をかさねている「人類の叡智」は、それに答えうるのか。

「人類の叡智」は、「個人の自由放恣」を抑制する実践的倫理を提示できているか。

◆現実は、保険料と税金による負担と受給の制度設計の知恵だけである。

では、保険料をはらう、税金をはらう、という倫理性は、いかなる意味をもつか。

保険や税金で社会保障を受ける、もらう、救済される、という倫理性は、いかなる意味をもつか。

これまで見てきた辞書の用語定義によれば、社会保障制度は「強制される法律」であって、「倫理」ではない。

良心が納得する明文法律だけあればよいのであって、「倫理」などといわず、「法律に従いましょう」と教育するだけで、いいのではないか。

辞書で確認できる「倫理、道徳」の意味は、きわめて抽象的、同義反復的である。無内容の形式的な定義でしかない。ここからは、「人はいかに生きることが、倫理的なのか」という問いへの、実践的な「倫理、道徳」の内実はでてこない。

では、「倫理・道徳」が、小学校、中学校の義務教育において、いまどのような徳目として教育されているか? それをつぎにみてみよう。

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